ぎょーむ日誌 2008-05-31
2008 年 05 月 31 日 (土)
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0830 起床.
朝飯.
コーヒー.
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洗濯.
怠業.
なぜかベトナムの歴史を調べるのに没頭.
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昼飯.
なぜかしら入場券をとあるヒトからもらったので,
北海道近代美術館に「北海道の水彩画」展をみにいく.
明治から現代にいたるまでの水彩画が年代順・画家別に展示されてる.
来てしまったのはいいとして,
私は絵画のみかたというのがよくわかっていないし,
どの絵がよくてどれがよくない,
というのもまったくわからない.
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年代順にならべられているので対象 (この展示では風景画が多かった)
をとらえる方法論が変化していったのはわかる.
しかし画家がある方法論でもって何をとらえようとしていたのかは
……
まあ,
私にはよくわからない.
絵の横にある解説を読んでみると,
「自分の表現したいこと表現するためには○○という方法が適していたので
……」
というふうに書かれていて,
その発想はわかるけど何を表現したいのかわかってないんだねえ
……
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いや,
これは今回の展示だけのハナシではなくて,
私の場合,
どういう絵をみてもそう思ってしまうわけです.
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おそらく絵画の歴史というのは,
表現したコトとその方法の発展のからみあい,
という側面はあるのだろう.
たとえば三次元のモノを二次元上に
写像
(mapping) したいというコトと,
さまざまな遠近法やキュビズムとかの発展のからみあい,
というような側面だ
……
このあたりはわかるような気がする.
どうでもよいが音楽の歴史になるとこのあたりの関係すらまったくわからない.
文学の方法論も,
かな?
つまり一次元への写像はよりわかりづらいのかも.
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で,
水彩画にもどると,
データ解析したうけ業者たる私なりのある種の曲解として,
この年代順展示に見られる変化は何によって説明されるかといえば
……
美醜の軸を観念論的にきめようとする美学的な変遷というよりも,
むしろ
もっと具体的で試行錯誤的な方法論 driven ないきあたりばったりで説明されるんでは,
というみかただ.
つまり写像の方法論が生物進化みたいに分裂生成・消滅をくりかえしていて
(写像の方法の系統樹が作れる,ということ),
新しい方法論 M で対象 X をとらえるとこうなる,
ということを示したい.
この X は従来の方法論でよくあつかわれてきたモノでもよいし,
M の特徴をわかりやすく示すことのできるモノ,
といった必要条件さえみたすのであれば M は「何でもよい」
……
まあ,
もしこの画家たちのうち何割かがそのように考えているがいたのであれば,
そのヒトたちの考えかたは自然科学者 (の一部か?) にちかいところがある,
ということなのだろう.
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美術館は一時間ぐらいで出たんだけど,
帰りにあちこちの書店に何時間もとらっぷされてしまって
……
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あ,
ぎょーむ日誌の更新をわすれてた.
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[今日の運動]
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[今日の食卓]
- 朝 (0930):
イソップベイカリーのクロワッサン.
- 昼 (1300):
サンドイッチ.
- 晩 (2000):
米麦 0.8 合.
ホウレンソウ・トマト・レタスのサラダ.
カマスの干物.