ぎょーむ日誌 2006-12-16
2006 年 12 月 16 日 (土)
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0825 起床.
朝飯.
コーヒー.
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昨日敗退した苫小牧シュート内重量分配の階層ベイズモデル,
検討を再開してみる.
これってもっと簡単な定式化が可能だよな,
という気がしてきた.
そのあたり確かめるべく,
1020 自宅発.
雪.
1040 研究室着.
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で,
また
R2WinBUGS
とかに取り組んでいるうちに,
どーにかこーにか MCMC 計算は動くようにはなってきた.
しかしこれでホントに正しいのか?
ぜんぜん収束してないし.
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昼飯.
お茶部屋の読売新聞,
土曜日朝刊に一年間にわたって連載されてきた
ドナルド キーンさんのエッセイ
「私と20世紀のクロニクル」
(全 48 回) が完結した.
自分の人生を振り返ってみると,
私の人生を左右してきたのは明らかに幸運であって,
長い熟慮の末の決断ではなかった.
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苫小牧シュート計算つづく.
サンプル数 500 個体 (13 樹種)
なので計算時間は比較的みじかい.
12000 MCMC step で 233 秒か.
DIC = 7581.
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どうも収束よろしくないなあ,
ということで,
例によってあれこれとひねくってみる.
たとえば測定誤差を無情報事前分布からではなく,
「測定誤差は比較的ちいさい」
と仮定すると
……
うーむ,
chain 間の差は小さくなるが,
ぜんぜん混交してない.
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やはりこのデータセットでは測定誤差と「個体差」を区別できんのか
……?
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午後の後半は北大からもよりの小さな映画館
「蠍座」
で (なんと) あの
惑星ソラリス.
ポーランド人 SF 作家スタニスラフ レム原作,
ソ連のタルコフスキー監督による映画化
……
ただし上記 wikipedia リンク先にも記述されてるとーり
「レムとタルコフスキーとの間で大喧嘩が起きたことは有名」.
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私もぜんぜん娯楽とか期待せずに
「SF 好き自称する者の教養のための古典観賞」
のつもりで初めてロシア語映画 (もちろん字幕つき,
ただし縦がき) 見ることに.
そう考えた SF 道民も少なからずいたのか,
68 席しかない蠍座はせまい通路上に補助椅子まで緊急設置されるちょー満員,
ただし上映開始 30 分後には場内あちこちからいびきが聞こえてくる
(ホントです),
そういう映画だ.
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タルコフスキーの「SF 映画なんてイヤだ」というか
あんち「2001 年」みたいな方針が露骨というか
(まったく蛇足ながら,
私は「2001 年: 宇宙の旅」を
2001 年 4/18
に初めて見ました)
……
なにしろソラリスが
「太陽系ではないどこかの星系の海だけの惑星」
といった描写はどこにもない.
ソラリスの海は何だかごぼごぼと泡だつ排水処理場みたいな.
原作には登場した宇宙船もなし
(「室内で火を吹く ICBM もどき円柱」は出たな).
HAL9000 どころか計算機のたぐいもなし.
観測ステイションは内部がひたすら壊れてちらかってるだけ,
「『海』にむけて脳波を信号とする X 線照射」
も「実施する」という会話があるだけで描写なし
……
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とにかくこれは「古典」なので
私の偏った趣味にもとづく文句は
ことごとく無意味だというのはよく承知しております.
いやー,
しかしホントに徹底している.
何しろ実際に登場したもっとも
「未来的なガジェット」
が車載 TV 電話だもんなぁ
(これすらもやや間接的に描写される)
……
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165 分の長ーい映画なんだけど,
その時間の使いかたは,
「ロシア的」と言ってよいのかどうかわからないんだけど,
じつに悠久たるもので.
たとえばこのソ連映画の前半にはおそるべき唐突さで
(私にはソラリスの海よりこれのほうがよほど「しゅーる」に思えたんだけど)
当時 1971 年ごろの東京 (!)
の首都高速を登場人物がひたすら無言で車を走らせる
(日本では) たいへん有名なシーンがある.
何ゆえに「東京の首都高」なのかといえば,
もろもろの事情でタルコフスキーが
「未来都市」を表現するには同高速道で走る車内からの画像ながせばよい
と考えたためらしいんだけど
(それともこれは何かの皮肉なのか?),
これがじつに 1-2 分ほども延々とつづき,
さらにすばらしいのはハナシの展開なるもの
(もしそんなものがあると仮定できるならば,
だが)
とは徹頭徹尾にわたって完全削除しても何の影響もないほどに
まったくもう無関係 という一点であろう.
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これと比べるとキューブリックの
「2001 年」
ですらだんぜん娯楽指向の SF 映画と言える.
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とにかくふつーのヒトには絶対におススめできない映画なんだけど,
私としては「見てよかった」映画でしたねえ
(二度とは見たくないけど)
……
まあ教養と申しますか,
SF の歴史年表をうめるひとつのピースがはまったというか,
1970 年代初頭のソ連人が SF 作るとこうなるという歴史認識というか.
ああ,
主演女優
Natalya Bondarchuk
が動いてるのを見てたら,
20 年ぐらい前に読んでた
SF 総説だったか SF 映画解説なんかに掲載されてた
この映画のスチールあれこれを突然に思いだしてしまって,
これも「はまった」感ありました.
なんと,
この気品あるスラヴ美女は撮影当時 21 才ぐらいだったとはねえ ……
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いまは亡きユーラシア帝国たるソヴィエト連邦っぽいところなんかも
あるかしらん,
とかみょーな期待なんかもしてたんだが
……
科学礼賛ではなくあんち科学・あんち宇宙開発だし,
唯物論的というよりオカルト的だったような
(中性微子 (Neutrino) がソラリスの「磁場」で人間のカタチになる,
とか?).
数すくないソ連的な描写らしきものとしては,
見まちがいかもしれないけど,
最初のほうのバートンの査問会の室内の壁 (というかパネル) に
コンスタンチン ツィオルコフスキー
らしき似顔絵が描かれていた.
ここには他にもいろいろな人物描かれていたんだけど,
もしかしたら
セルゲイ コロリョフ
(当時はすでに痛恨の医療過誤で死亡)
なんかもまじっていたのかも
……
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[今日の運動]
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[今日の食卓]
- 朝 (0900):
米麦 0.5 合.
ハクサイ・ブナシメジ・ホタテの味噌汁.
- 昼 (1330):
研究室お茶部屋.
食パン.
- 晩 (1820):
北 13 条の
ピカンティ
でスープカレー.
えーと,
注文体系
がやや複雑で,
スープは「大陸 X」
でチキンコンフィ,
辛さは「知覚の扉」 (中辛).