ぎょーむ日誌 2005-02-03
2005 年 02 月 03 日 (木)
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0730 起床.
朝飯.
コーヒー.
0820 自宅発.
晴.
0830 研究室着.
輪読会の予習.
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輪読会中止.
えー,
「またしても」というか.
今回は風邪だそうで.
Life History Evolution in Plants
,
「さーて,今日は第 8 章か」
なる状況はすでに三度目なんだけど,
そのたびに交通事故とか親族に不幸あったりとか風邪をひいたりとか
……
なンか呪われてますよねえ.
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時間あいたので
ぱいぷ樹木原稿みなおし.
窓の外は雪.
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昨日の「嘆願書」について議論が生じている.
文言のなかの
「二人分の料金を頂きませんことを、
此処に、切にお願い申し上げる次第でございます」,
この「頂きません」とは何なのだろうか?
という解釈問題で皆さん苦しんでおられる.
「嘆願書」全体および前後の文脈から,
このあたりわかりやすく意訳すれば
「つべこべいわず二人分しはらいやがれ」,
つまり幹事長殿からの
厳粛なる指示であることは疑いの余地ない.
しかしながら,
なぜそれが「頂きません」
と表現されるのか,
その文法的な側面についての検討も必要だろう.
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これって北海道弁では,
という説もあったんだけど,
それだけではないのかもしれない.
近い表現を考えてみると,
これは「頂戴せん」だと考えればつじつまがあうような気がする.
「ん」は主体的意志をあらわす「む」の音便で,
意味としては
「頂戴してやろう」
となる.
おそらく,
北海道の一部では
「『頂戴』す」を「『いただきま』す」と読むのだろう.
「(私が) 二人分の料金を頂戴せんことを」
とすれば (これだけ見れば) 意味がつうじそうだ.
しかし,
そうだとすると
「お願い申し上げる」に続けるのはヘンだ.
あるいは,
このあたりに研究室の実質的な権力者である女性大学院生たちの
政治的巧妙さがあるのかもしれない.
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東アジアにおける権力のありようとは,
被支配者たちが自発的に王に従うことをもって最上とするものだろう.
昨日の引用文にはっきりと示されているように,
支払う側であるわれわれには選択の自由など
そもそも全くないのだけれど,
そうであっても,
いやそういう場合にこそ「自発的に支払う」
というカタチを取らねばなるまい.
「お願い申し上げる」うんぬんはまさにそのための修辞だ.
では,
「二人分の料金を支払っていただけますよう
……
お願い申し上げる
……」
というふうに書かないのはなぜか?
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これはおそらく「特殊な読み手たちへの配慮」だろう.
上のように丁寧に書いてしまうと,
文言を「字句どおり」にしか読めない理系男どもは
「あ,自分には選択の余地あるんだ」
と錯覚してしまうかもしれないではないか.
それを
「二人分の料金を頂きませんことを」
と,
あえて,
わざと発話者の主体的意志を (北海道的に) あらわす
「頂きません」
を変則的にもちいることで支払い側の利己的な誤読をふせごうとした,
と思惟される
(おかげで私は文意を正しくとれた).
企図は明確であったものの,
手法がかくも複雑であったために一部に混乱が生じてしまった.
あるいは民草たちが権力者の意志を推し量りかねて右往左往する
この状態こそ,
その真のねらいだったのかもしれない.
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……
というようなことを検討議論しつつ昼飯.
書いた本人の談話
「古文調で書いてみました,えへへ」.
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月末にまた試験監督.
二次試験.
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甲山さんがまたぱいぷ樹木原稿のなおし提案もってきてくれたんで,
それを反映してみる.
もう一回よみなおしてみる
……
1700 までかかって作業終了.
その後の処理あれこれ.
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1830 研究室発.
2000 帰宅.
運動.
晩飯.
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[今日の運動]
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エアロバイク 50 分間.
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腹筋運動 30 ×
3 回.
腕立ふせ 5 ×
3 回.
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[今日の食卓]
- 朝 (0750):
米麦 0.7 合.
タマネギ・マイタケ・豆腐・カツオブシの味噌汁.
コマツナ.
- 昼 (1320):
研究室お茶部屋.
米麦 0.7 合.
タマネギ・マイタケ・豆腐・カツオブシの味噌汁.
- 晩 (2220):
米麦 1.0 合.
モヤシ・ニラ卵炒飯.
コマツナ.