ぎょーむ日誌 2001-07-08
2001 年 07 月 08 日 (日)
- 0900 起床.
- ばててる場合ではないのだけど,
一日ばてたまま過ごしてしまった.
ああ.
- 昼すぎ,
ThinkPad の電源管理問題という
ちょー難問について数時間ほど調べてみる.
Linux カーネル 2.4 系対応の新しい
tpctl_2.4
で少しマシになったか
…… ?
というぐらいの結論.
あるいはそもそも 2.4 系カーネルが良くなくて,
ヘンだったら 2.2.x に戻せという意見もアリ.
うーむ.
- 夕方,
大森町商店街のほうに食料買い出しにでかける.
曇り.
それほど暑くなくて助かる.
- 大森町の TSUTAYA (本屋) で
学研の「歴史群像」という良くも悪くも
少しイカれた読みもの雑誌見つける.
なんとその冒頭のカラー図解は,
いままで一度もこういうので
紹介されたことないと思われる,
わが故郷の山科盆地,
その中央に位置する山科本願寺の
要塞としての防御構造,
というひどくマニアックなものであった.
思わず買ってしまった.
930 円.
う.
- いうまでもなく寺というのは昔から
一種の城塞としての機能を付与されていたわけだが,
この紹介記事によると,
戦国時代初期 (応仁の乱の 10 年後ぐらい) に
何もない平地のド真ん中に構築された山科本願寺は,
当事にあってはまさに例外的
というか先進的な平城であった.
というのも,
一般に平らな土地に築城されるのは
戦国も終りになってからと言われる.
- 東海道と宇治街道の分岐点をニラむ地点に,
多重化された土塁で防御陣地を
……
時期早尚というか,
ろくな火力もない時代なのになぁ.
浄土真宗な坊さんたちでは機動防御の拠点として
使う発想もないだろうし.
- ここは早くも 16 世紀前半 (1532 年) に六角氏その他連合軍に
攻め立てられてあっさり落城したらしい.
やはり京都盆地と同じく,
その東方に位置する山科盆地もまた
防衛困難な地形であったわけだ.
- ……
などとアヤしげなものを読んでアヤしげな考察に
ふけって時間をまったく浪費するのであった.
ああ.
やばいなぁ.
- 風呂に入ってみるとすこし気分よくなる.
- さっさと寝たほうがいいんだろうなぁ
……
- 今日の食卓
- 朝 (0930):
パンケイキ.
紅茶.
- 昼 (1330):
米 0.7 合.
昨晩の残り.
鶏の砂肝・タマネギ・ニンジン・シイタケ・ニンニク
のキムチ味炒めもの.
- 晩 (2030):
米 0.7 合.
昼と同じ.