空間構造/SORTIE/共分散構造

 半年に及ぶ私の滞在[5]を受け入れてくれたのはSimon Levin教授であった.教授はRobert MacArthurとRobert Mayに続く,プリンストンをして生態学における指導的地位たらしむ影響力ある理論家としてこの地に破格の条件で招聘された,と噂されている.生態学・進化生物学部が収まっている建物・イノホールの半分を自らの意匠で改装し,研究・教育の根拠地となしている.プリンストンに着任後に設立したPEI (Princeton Environmental Institute) の教授をも兼任するその日常は多忙である.研究室には全世界からひっきりなしの訪問客があり,上はJames Crow教授のような超大物から,下は私のようなわけのわからない一介のプリンストン巡礼者にいたる.

 そのLevin教授からとくに要請を受けてプリンストンに移ってきたStephen Pacala教授は,たしかに,その研究のセンス,“勝利と栄光”への集中力そして人使いのうまさに関して尋常のものではなかった.Pacala教授の近年の成果のひとつは"SORTIE"[6]森林動態シミュレータの構築とその解析である.これはコネチカット州の針広混交樹林の動態のエッセンスをコンピュータの中に再現する野心的な試みであり,世界で初めて連続空間構造を持った現実的な森林動態モデルである.モデルの特徴として,全てのパラメータが観測データから最尤推定法で直接得られるようになされたグランドデザインの妙をまず何より挙げなければなるまい[7].これこそは余人の為しえざるところであった.Pacala教授の研究対象はそれにとどまるものではなく,ここ数年は地球スケールのデータ解析から微視的な物質循環モデリングにいたるさまざまな問題に取り組んでいる.多数のポスドク研究者を指導し,彼らを縦横に駆使して多方面で陸続と成果をあげつつある戦略家である.

 Pacala教授のポスドク研究者のひとりBenjamin Bolker博士が近年その力を傾注しているのは,一次元または二次元の連続空間上に分布する個体の集団動態を点過程として表現する数理モデルの解析である.移動分散や近隣個体との競争の帰結として生じる共分散構造に着目したその近似計算法は巧緻で,この分野における近来のエポックメイキングである[8].後述する私の研究はその成果の拡張であり,計算方法などに関してもっとも多く議論をした相手はBolker博士であった.Pacala教授が軽躁的でともすれば「これこそは真理だ!」といった勇ましくも心臓に悪い発言を好むのとは対照的に,彼は謙虚かつ落ち着いた人柄であり,私には話しやすい相手であった.そのコンピュータ操作の熟練ぶりは一見に価するもので,Bolker博士が立て続けに入力する一連のコマンドに応じて素早くX上でウィンドウが開閉,次々と計算の結果を示されるさまは,古めかしい表現ながら人馬一体という語を想起させた.

脚注
[5]この「滞在」とやらはまったく非公式かつ準非合法のもので,いっそ「押しかけ居座り研究」とでも称したほうがよっぽど実態に則している.
[6]sortieとは「突撃」の意.ただし命名の由来は高速sortアルゴリズムを使っているからだとか.
[7]Pacala, S. W.et al. 1996. Forest models defined by field mesurements: estimation, error analysis and dynamics. Ecol. Monogr., 66:1-43.
[8]今年(1997年)出版されるTheoretical Population Biology のいずかの巻にこれに関する第一論文が掲載されるはずである.

 

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