“古風で趣のある格式ばった小さな街”

 ニューヨークとフィラデルフィアの中間に位置するプリンストンは数理科学者英雄列伝を愛する人々にとって聖地のひとつに数えられるべき資格を有している.この小さな街は“モンスターマインド”たちの過ぎにし日々の奇蹟と事蹟の宝庫である.ある日,生態学・進化生物学部のPacala教授と大学近くの森[3]を歩いていたとき,開けた草地に出た.「ああ,君.ここだよ」.教授は農家のような赤レンガの建物を示した.「現在は小学校として使われているが……(なぜか秘密めかして)50年以上前にはこの中でNeumann,UlamそしてTellerたちが連鎖熱核反応過程に関する近似計算を行っていたのだ」.ははぁ,NeumannやUlamがそんなことを.しかしEdward Tellerが当地にいたとは知りませんでした.敬虔な巡礼者のマニアックな返答にいたく満足を覚えたらしい教授は,やはりおたく的というほかない講議をさっそく始めた.うむ, 実は当時の理論物理学者の派閥構成は……かくのごとく,聖者や悪漢たちの真偽さだかならぬ伝説が街のそこここに点在し,人々の間で語り継がれ,さらには世界に広まっていくのである.

 隣接する高等研究所ほど日本ではその名を知られてはいないけれど,250年をこえる歴史をもつプリンストン大学は名門私立大学としての矜持に満ちていた[4] .私が出入りしていた生態学・進化生物学部(Department of Ecology and Evolutionary Biology, EEB)には(後述する)Levin教授・Pacala教授だけでなく,「フィンチの嘴」で著名なPeter Grant教授夫妻,森林群集生態学のHenry Horn教授,パナマのバロコロラド島の大面積永久調査区を設定したStephen Hubbell教授,哺乳類の個体群動態のDaniel Rubenstein教授といった赫奕たる名前が連なる.

脚注
[3]より正確には大学が森のような場所の中に位置しているのだが.
[4]学費が九州大の5倍を超えるプリンストン大学に対して一円も支払わないままそれを利用していた私はまぁ寄生虫のようなものであり,ときおりは居心地の悪い思いをした.

 

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