プリンストン往還記

−あるいは巡礼者のためのガイドブック'97−

久保拓弥


始まりの日

 深夜.治安劣悪都市ヌアーク.国際空港の入国管理官は怪しげな東洋人を尋問していた.「なに?観光者用B1査証で180日も滞在するだと?」「はい」「国内で労働に従事しないだろうね?」「はい……あっ違います違います,いいえ,しません」.まったく英語というやつは.言語能力というものについて私はある種の諦観の境地に導かれつつあった.しかるに職務に忠実なるわが係官氏は私という人物についてある種の強い疑惑を抱きつつある.唐突に問われた.「お前ホントに日本人か?」.ああ.恐るべきことに彼はこのパスポートが偽物である可能性をも検討する必要性を認めているのだ.「私日本人です」「それではhelloを日本語で何と言う?」「コンニチハ」「good morningを(以下同文)」……滑稽かつ悲惨な深夜の語学テストが始まった.

 1997年4月7日から半年間にわたり,アメリカ合州国ニュージャージ州のプリンストン大学に滞在して研究することになっていた[1] .しかし,この地で為すべきことに関して,私にはっきりとした見通しがまるでなかった.そもそも,どうして日本国外で研究などできようか,ここには何のあてもないのに……入国審査をようやくのことで切り抜け[2] ,寒空のもと北米の大地に降り立った私にとって確からしいことは何ひとつ無かった.計算機と書物を詰めたザックが双肩に加える殺人的な60キログラムの重圧を除いては.

脚注
[1] なぜか.当研究室では,ヒマそうにしている大学院生は「お前なんか外国に出てけ」イジメの標的にされる.連日連夜の執拗かつ陰湿な研究妨害に耐えかねて,ついには国外逃散を決意するその日まで,何ぴとたりともこの理不尽からまぬがれることかなわじ,と伝えられている.
[2] 戦訓:観光者用査証で長期滞在の決意表明をするときは,上述程度の嫌疑にも耐える覚悟すべし.

 

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