ぎょーむ日誌 2003-10-11
2003 年 10 月 11 日 (土)
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0920 起床.
朝飯.
コーヒー.
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1240 自宅発.
晴.
北 9 東 5 の Homac に行く.
Matt と合流.
光ファイバー保護チューブなるもの探したけど見つからず.
撤退.
1340 研究室着.
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しょうがなくお電話作戦で,
工事担当会社とかに問い合わせたところ
……
そういうのは Homac とかではなく
電材屋
にて調達すべし,
とのこと.
ネットで調べてみると,
北大周辺にもそういう会社はある.
しかし土曜日なので,
どこも休みだ.
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仕事すすまず 1710 研究室発.
大学から歩いて 5 分の小さな映画館
蠍座
(座席数 68,地図)
で
アマデウス
(director's cut)
を観る.
1730 から 2030 までの長丁場.
2040 帰宅.
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この映画,
ハナシは悲惨だけど娯楽作品であることは間違いない.
で,
娯楽作品ならば
(少なくとも)
表面的にはつじつまがあっていてほしいわけだけど,
全体の流れをみるとちょっとヘンなところがある.
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プロローグ.
モーツァルト死後 30 年.
「私が殺した,ゆるしてくれ」
と老サリエリ自殺未遂.
精神病院に.
(おちついてから)
神父相手に告白開始.
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本編.
サリエリ回想 & 神父との対話
(というか老人モノローグ).
この最後において,
神の悪意による創造物と考えざるをえなかった
モーツァルトとの鎮魂曲後半部の「共作」を実現し
(天才の楽想は理解できん,
という試練をその場で克服しつつ,
だ),
和解にいたる.
その直後にモーツァルト死亡.
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エピローグ.
老サリエリ,
すべてを告白したあげくに
神の不平等性原理を喝破し,
精神病院内の平凡な狂人たち
(すなわち他ならぬわれわれ)
の頂点として「ゆるし」を与えてまわる.
高笑い,
で幕.
つまりですなぁ,
じっさいの時系列順に見ていくと,
2. の最後で音楽至上主義者たるサリエリとしては
「彼の創造過程を理解できた」
ということでココロの平和を実現しながら
(彼にとっては理解できる → ゆるせる,
となってるはず),
その未来の 1. ではなぜかしら絶望にさいなまれており,
さらに時間がたいしてたってるわけでない
3. でいつのまにかタマシイの安らぎを得ている,
ってところに齟齬があると思うわけですよ.
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ネットで調べると,
モーツァルト死後のサリエリは本人独白ほどヒサンなものではなかったらしい.
現代でこそかえりみられていないけどね.
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まあ「史実」とやらは
映画のスジと関係なくてもいいわけだが
……
アマデウスの監督が破綻なくハナシを作った,
という前提のもとで我流のつじつまあわせを試みてみよう.
老サリエリの「夢おち」ならぬ「妄想おち」
ってのはどうだろう.
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(生前の確執はおくとして)
モーツァルトに鎮魂曲を依頼したのはサリエリではない.
死因にも関与してない.
鎮魂曲は弟子が書きとってる (あるいは補足してる).
史実のとーり,
といいますか.
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老サリエリ,
晩年にいたって
「モーツァルトの曲はいまでも人気なのに,
自分のはもう誰も演奏してくれない」
なる被害妄想にとらえられる.
この「現象」の無矛盾な説明を考え抜いたあげく,
神の恩寵を受けたる彼を殺害したからこそ,
自分はその罰として今の状況におかれている
とする解釈を創作する.
その因果関係の各ステップにおいて
「なぜこの部分はそうなったのか」
に関してきちんと整合している
(妄想とはそういうものである).
ハナシがあまりにも首尾一貫してしまったので
(逃げ場の余地がなくなり),
自殺を試みる.
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いったんおちついたんだけど,
精神病院で面会した神父が音楽について
ひどく無知無知であったために,
被害妄想がぶりかえしてしまい,
自分が当事いかに悲痛な状態であり
その必然の帰結として殺害を決意するにいたるのか,
をとうとうと「告白」してしまう.
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夜を徹して語りつづけるうちに興奮状態となり,
「作品」の最後に
矛盾なくインパクトあるオチをつけようとする
(むろん無意識下において
……
繰りかえすが,
妄想構築でもっとも大切なのはある種の整合性に他ならない).
自分がモーツァルトにとどめをさすべく
「共作」したことになってしまい,
鎮魂曲後半の流れを追いつつ
書き取り過程の詳細を脳内「再生」してるうちに
天才理解の境地に到達できた
……
気分になった (つまり誇大妄想).
で,
すべてを「ゆるしてやる」モードに.
おお,
期せずして,
「妄想においてこそ整合性は重視される」
なる主張を自ずと示しているではないか.
推定のバイアスがあるとすれば,
職業的うそつきたる私としては老サリエリ先生が
人生の終章にとてつもないホラを創造してみせた,
というほうがより親しみがもてるんだけどなぁ,
というあたり.
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とはいえ,
この解釈は映画つくったヒトたちの意向を無視するものではないかもしれん.
なぜ老サリエリはわざわざ精神病院にほうりこまれているのか?
しかもピアノつきの不自然な個室に.
つまりは,
「何もかも狂った老人の妄想トークですよ」
というのも可能な説明のひとつとして準備されてた,
ということで.
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[今日の素読]
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Salsburg, D. 2001.
``
The Lady Tasting Tea
-- How statistics revolutionized science
in the twentieth century''.
Owl Book.
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Chapter 15. A Worm's-Eye View
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David called Karl Pearson a wonderful lecturer.
``He lectured so well, you would sit there and let it all
soak in.'' He was also tolerant of interruptions from
students, even if one of them spotted a mistake, which
he would quickly correct. Fisher's lectures, one the other
hand, ``were awful. I couldn't understand anything.
I wanted to ask him a question, but if I asked him a
question, he wouldn't answer it because I was a female.''
So she'd sit next to one of the male students from America
and push his arm, saying, ``Ask him! Ask him!''
``After Fisher's lecture, I would go spend about three
hours in the library trying to understand what he was
up to.''
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Looking back at those days, she noted,
``I'm inclined to think that I was brought in to keep
Mr. Neyman quiet. But it was a tumultuous time because
Fisher was upstairs raising hell and there was Neyman on
one side and K.P. on the other and Gosset coming every
other week.'' Her reminiscences of those years are much
too modest. She was far more than a worm ``brought in to
keep Mr.Neyman quiet.'' Her published papers (including
one very important one cowritten by Neyman on a
generalization of a seminal theorem by A.A. Markov, a
Russian mathematician of the early twentieth century)
advanced the practice and theory of statistics in many
fields. I can pull books off my shelf from almost every
branch of statistical theory and find references to
papers by F.N. David in all of them.
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[今日の運動]
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北大構内走 1100-1155.
ストレッチング.
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[今日の食卓]
- 朝 (0950):
米麦 0.7 合.
キムチ.
- 昼 (1220):
蕎麦.
- 晩 (2230):
マカロニ.
チンゲンサイ・マイタケ・ニンニクの炒めもの.