巡礼の帰る日

 私の滞在もあとわずかを残すのみとなった秋の静かな一日,少しくひねくれた諧謔の持ち主であるSimon Levin教授はそのいたずらを思いついたらしかった.「押しかけ居候」のくせに尊大である(と見えるらしい)私の態度をからかうのは教授のよろしくない趣味のひとつである.彼は研究室の人々に召集をかけた上で,シャンパンの大びんを取り出した.「いやはやこの偉い大学院生がようやく帰国してくれることになった.次に来るときには有名人にでもなっていてほしいものだ.さて,乾杯の前に彼は感動的な演説をしてくれるに違いない」.演説どころか,入国管理官との激突後も私の英語運用に有意な向上は検出できないありさまである[14].手のこんだ奇襲に混乱して絶句していると,横手から拍手しながらPacala教授がいきなり乱入.「やあやあ,すばらしいスピーチだ.まったく君の研究にはこの半年間にわたってはらはらさせられたよ!」

……結局のところ,私の憶測はそれほど的外れではなかった.一方向的競争を仮定するいくつかのサイズ分布モデルに対して,共分散構造を近似的に計算する手法は有効であると判明した.ところが休暇から帰ってきたPacala教授はその結果をなかなか信じてくれない.そこで,かねて用意の切り札「実はこの改良モデルにおいてはあなたのパッチ齢近似もかなり有効です」を持ち出すと「それでよろしい!」とのお言葉を賜った.巡礼ついでの商談はひとまず成立と言うべきか.

 帰国してひと月以上が過ぎた.のんびりと研究できたプリンストンでの日々が懐かしく思い出される[15].この文書が次なる巡礼者たる皆様の一助になれば望外の幸せである.


脚注
[14]もちろんLevin教授もそれを熟知している!
[15]遅々として進捗しない論文執筆のストレス発散のつもりでこの記事を書いてみたのに,かえってストレスのたまる作文になってしまった.

[前] [目次]