<裏商売> シリーズ
Dual Boot:奇妙な依頼[目次] 依頼人の失望 | 霧中の探索 | 反攻の起点 | 奴隷化の手法 | 冬の報酬依頼人の失望 ── Linux&Window$ System ──
「君には失望した」
依頼人は帰り支度を始めた. 不本意ながら 何か言い訳じみたことを口にしなければならなかった. 「Dual Boot 環境構築が経験ないのに, それをナメていたのは認める. それに」 卑屈にならぬためには努力が必要であった. 「Window$98 なんぞという変テコなシロモノを 『更地』に入れる面倒を理解していなかったことも」 「私は君にWindow$ に関する論評を求めた覚えはない」 「スウィス銀行にすでに振り込まれている報酬は返還する. 依頼された仕事は続行する」 もはや商売ではない. いやこれも商売の一部か. 「どうだ. あんたはこれより安くその Let's note を蘇生できる人材を この地上には見いだせないはずだ」 「──悪くない取引きかもしれん」 先方はこれを待っていたのか. 依頼人の目からはいかなる種類の感情も 読み取れなかった. 「二週間ののち, 私はふたたびこの地を訪れるだろう──」 いったんは鞄に仕舞い込まれたsubnote PC が 机上に戻された. 「事務所に出入りしている 若い連中にも言って聞かせているんだが── 世の中には三種類の就業者がいる, と私は理解している. 職業倫理を持つもの持たぬもの, もし自己の内側にあるべきものがあるなら それを実践できるものできぬもの,だ」 依頼人の姿はすでに闇の中に消えつつあった. 「次に会う日までに 君は何ごとかを証明することになるのだろう──」 霧中の探索 ── Config.sys ──今回のターゲットに関する情報:
……私にとっては
まったくもってわけのわからないことばかりであった.
何ゆえにこの“純正”CD-ROM ドライヴに付属している
ドライヴァーとやらは全くものの役に立たないのか.
あるいは
そのメイカーの苦情受付掛がすばやく対応するのは
まぁ良いとして,
どうしてあの明確かつ具体的な質問に対して
これほどまでに
的外れで正気の所在を疑わせるような「ご回答」メイルを
送りつけてくるのだろうか.
これは何らか悪意によってなされたことなのか.
であるならば,
なぜ私がその対象となるのだろうか.
思い返せば,
PC なるアーキテクチャーの一部として定義されている,
ハードディスクに
オペレイティングシステムの起動情報を書き込むべき
MBR と呼ばれる領域について
私の理解がまったく不足していることが,
事態をここまで悪化させてしまった原因なのかもしれない.
むろんMBR の支配をWindow$ にゆだね,
Linux はWindow$ から起動するような仕掛けにしてしまえば,
おそらく問題はすんなりと解決するのだろう.
しかしながら,
そのような手法にはまったく感心できないのだ.
心情的な反発というばかりでなく,
Linux を起動するのにいちいち時間のかかる
Window$ のboot sequence を通過しなければならない
システムを構築するのは,
いかにも馬鹿げたことのように思えたからだ.
依頼人はPC-Unix に興味があるけれど,
かといってWindow$98 など豚の餌にもならないと
断罪する(これはこれで豚には失礼な表現か)
ほどには
浮世離れもしくは気違いじみていないために,
あのような「ふたつのOS を持ったシステム」を希求したのだ.
そのことについて
私は自らの信ずる何ごとかを押し付けるつもりはない.
たとえ
その依頼が私にとってはとてつもなく
奇妙に思えたとしても.
私の職業は職人のそれに近いものであり,
宗教家のたぐいではないからであった.
ともあれ,
インターネット上で得られる多くの情報が示しているように,
Dual-Bootable にするためには
まず最初にWindow$98 をインストールしたほうが良さそうだ.
しかしながら,
なんとしたことか,
いかなる詐術や奇計すら用いても,
このLet's Note なるsubnote PC は
同じ製造元のCD-ROM ドライヴを
頑として「認識しない」のだ.
言うまでもなく,
プリインストールのWindow$ を消去する前に
しかるべき起動ディスクを作らなかった
私は責められる
べきなのかもしれない.
だとしても,
この不条理さは尋常なものではなかった.
「ご回答」メイルの示す
CD-ROM ドライヴのドライヴァーを求めて,
私は持てる検索能力の全てを発動して
ネットの上をさまよい続けた.
その結果として,
「なぜあの会社は,
自社製品の購入者に対して
他社の有料製品であるドライヴァーを買えと
命令するのだろう?」
という
不可解かつ不愉快な疑問点が
新しく得られただけであった.
正直に告白するなら,
私はこのM$-DO$ に源流をもつ一連の体系を操作する
知識も経験もまったくない.
とはいえ,
さいわいなことにこんにちでは
インターネットにて適切なる検索を行えば,
たとえば
「Subnote PC に
外づけCD-ROM ドライヴを認識させつつ
起動するためには
どのようにConfig.sys を書けば良いのか」
といった情報ならばいくらでも得られるのである.
ここで対象としているLet's Note の一派生型が
最近になって市場に投入された新商品であり,
それゆえにこの機種に特化した情報がほとんど得られなかった
としてもそれは致命的ではない.
私がなすべきは,
それら無数の情報を糾合し帰納することによって,
現在直面している壁を乗り越え
目標地点に至る道筋を見いだすことにつきる.
これほど多量に情報が提供されているならば,
そういった問題解決の方法論を実施するにあたって
不足している部分があるとは思えない.
いつものとおり頭を低くして辛抱強く前進を続ければ,
たとえ巧緻ではないにしても
事態をなんとか打通できる策が得られるはずであった.
しかるに,
あるいは<英雄的> と揶揄されるかもしれない
忍耐のときを経てなお,
私は展望のまるできかない
霧の中をさまよい続けているのであった.
反攻の起点 ── PlamoLinux ──
よーし,
もうやめた.
やめと言ったらやめだ. M$-DO$ だのWindow$ だのの わけのわからん設定など知ったことか. どこかにあるかも定かではないドライヴァーを求めて ネット上を徘徊するなど愚かなことだ. そんな馬鹿げたことはいっさいやめだ. やめと言ったらやめだ. ここから先はこちらの得意な手でケリを つけてやる.
“定石”などくそくらえだ.
まずはLinux を入れてLet's Note を蘇生する. Turbo Linux の起動設定は どうにもへっぽこな感じだったからPlamoLinux だ. これならたいていの場合問題ないだろう. TurboLinux なんざぁ あとから入れればよいのだ.
PlamoLinux インストーラー起動.
ほほーう. 相変わらず“純正”外づけCD-ROM Drive とやらは 認識しないな. ふん. だからどーした. Linux を近頃のPC にインストールするのに正常に動作する 「直結された」 CD-ROM ドライヴなどは十分条件のひとつにすぎない. 必要条件ではないのだ. そしてこちらには <闇ネット> がある. このための<闇ネット> だ.
<闇ルーター・鳳翔>
のNFS server の設定を変更.
ついでにPlamoLinux のCD-ROM をmount. さぁ,もういちどLet's Note をフロッピーディスクから 起動して…… そーら,つながった. これで<闇ネット> を介して Linux をインストールできる.
さーてさてさてさて.
どうしてやろうか. どうせPlamoLinux はあとから削除するから 必要最小限の部品だけ…… ……あっと言う間にインストールが終わったな. 起動情報はハードディスクのMBR には書かない. フロッピーディスクに書いておこう. ああ, 多少はバカバカしくはあるね. よーし,再起動. うまく立ち上がれよ……
うん.
自律した<魂> が宿ったな. ようこそ,この世界へ. Linux の核晶に駆動されたるLet's Note よ. さぁ,ここを起点として反攻開始だ.
ログインすればそこには勝手知ったる世界がある.
当然のようにUnix のコマンドも自由に使える. 当然のようにDO$ コマンドなど使わなくてよい. 当然のようにネットワーク機能は充実している. ならば── われらが最強にして忠良なるしもべ <鳳翔> を召喚. ──よーし,来たな. Ethernet あるところでその名を呼べば, 必ず彼女はやってくる. われらに仇なす敵を打ち砕くべく 紅の翼をあたえられた可愛い小鳥. おっと. 物理的な作業がひとつだけ必要. <鳳翔> に Micro$oft 謹製のCD-ROM を入れてmount. これでWindow$98 とやらを Let's Note に流し込む手はずは整ってきた.
そうだな……
<闇ネット> の回線資源を こんなことで浪費するのもハタ迷惑だな. あらかじめ圧縮しておくか. <鳳翔> に発令. Windows$98 のインストール用CD-ROM の中身を tar zcf. 圧壊・圧壊・圧壊…… ずいぶん小さな固まりになったな. <闇ネット>NFS 経由でLet's Note の Linux (ext2) 領域にいったん転送. 同じディスク上の DO$ (vfat32) 領域にtar zxf で伸張かつ展開. これでいいか. それではLinux よ, しばしの別れだ.
さーて,と.
いやいやながらWindow$98 インストール用起動ディスクにて Let's Note を起動. なになに. “CD-ROMを使うか?”だって? mount できないくせに,わざわざ聞くんじゃないよ. 当然そんなものは使わない. ふん. 最初からそうやっておとなしくしてればいいんだ.
ああ,またまた出ました.
A:\ はいはい. おっと, インストール作業の前にFDISK /MBR. さっさとハードディスク領域(C:) に移動して. あったあった. さっき仕込んでおいた 「Window$98 インストール用CD-ROM」の中身. どっかにインストーラーとやらがあるはずだ. ええ,そうだろ? これか. ……よーしインストーラーめ, 起動したな. これでわかった. Window$ をインストールするには, 内蔵であれ外づけであれ CD-ROM ドライヴとかいう円盤回転機を 「直結」しなくてもいいんだ. ただPC-Unix さえあればよい. なーんて独創的な解決策だ. 世界で初めてかもしれん. わはははははは. ビル=ゲ○ツめ, へっぽこハードウェアメイカーめ. 出し抜いてやったぞ. ざまぁみろ. 奴隷化の手法 ── Window$98 ──
それは「再起動の嵐」であった.
つきせぬ「再起動」の繰り返しであった.
何かを設定するたびに,
そう
あたかもそれに対する
私へのペナルティーであるかのように,
「再起動」を何度も何度も,
何度も何度も要求された.
──あるいはこう考えれば
この呪われた忌まわしい現状に対して,
私自身が納得できる何かが見つかるのかもしれない.
すなわち
私が以前に犯した罪ゆえに
いまこうやって終わることのない罰を
受け続けている,
というアイデアだ.
このような安易なくだらない尊厳のかけらもない
想念を弄べば
Window$98 の設定作業とやらに伴う苦痛が
軽減されるのではなかろうか.
なんとならば
いかなる種類の救済すら望めない世界にあっては
かかる架空の系を創出したうえで
その中に「自分自身の位置」を定めることで
精神の外殻の破損を食い止める,
という機能をヒトの大脳は付与されているらしいのだ.
外殻が失われれば,
次には中核部が
じかに危険にさらされてしまうからなのだろう.
ユーラシア大陸の北東部における
政府に強制された
ある特殊な集団生活について
記した著作の中で
ロシアの文筆業者が述べているように,
人間とは
「永劫に続く虚しい作業」
の前にはいともたやすく崩壊しかねない脆弱な存在なのだ.
第一のバケツから第二のバケツに水を移し,
次に第二のバケツから第一のバケツに水を移す,
といったような.
それともかつて地中海沿岸に住んでいた人々が
シジフォスを罰するために発案したやり口を
思い浮かべてみるべきなのだろうか.
…………
そうだ.
そうに違いない.
きっとそうなのだ.
かくもMicro$oft 信者が多いのは,
この「再起動の嵐」ゆえなのだろう.
これはまるで一種の洗脳だ.
何度も何度も何度も何度も
頭がおかしくなるような
単調な作業を無理強いされているうちに……
冬の報酬 ── Teku-Teku ──
「今回の当方の依頼が完遂されたことは確認した」
依頼人は帰り支度を終えた. 小さな包を取出し机の上に置いた. 「そして, これは私が知る女の子から 『雪深い街に住むコンピューター修理名人のおじさん』 に対する贈り物だ」 「報酬を受け取るつもりはない. だいたい, あんたは自分の商売を いったいどういうものだと 身内に説明しているんだ」 依頼人はすでに歩み去りつつあった. 「君が作業に没頭するあまり, 室内に閉じこもって運動不足にならぬよう 彼女の配慮だ. 一日ないし二日遅れになったが──」
包みの中から
「てくてくエンジェル」があらわれた.
「人工生命育成」万歩計. この季節に何かを送られるのは14年ぶりか.
クリスマスの次の日の夜もまた,
札幌は雪であった.
(1999016)
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