サーヴァーもなくethernetもなく
現在のところ私は北大・地環研
(……おっと……こんな言い方をすると
教授会における決定の擁護者であり
秩序の体現者たる
真面目な人々に
叱責され弾劾され排撃されます……
正しくは「院 地球環境」などと略称せねば……)・
地域生態系学講座内の一隅に
かろうじて奇跡のごとく研究場所を与えられている身分である.
北大は概して
(以前に在籍していた) 九大より「金持ち」という
印象を与える国立教育機関であり,
そのインフラの整備状況もなかなかのものである.
ただしふたつの点で愕然とさせられた.
ひとつは講座内にまともなserver 機能をもった電算機が一台もないこと.
そしてもうひとつは電算機のethernet 接続が地環研
(はいはい……えーと……「院 地球環境」ね)
という研究科レヴェルで
あまりにも規律正しく厳格に管理されているため
講座内で勝手に
「この私物の計算機ちょっとつなげてみるか」
といったカンジの
気軽なインターネット接続を禁じられていることであった.
クラッカーなどと呼ばれるネットワークテロリストが跳梁し
地球の裏側から
こちらのシステムに
一瞬にして不法侵入をはたす当代にあっては,
暢気が身上のわれらが国立大学と言えど電算機網の
専守防衛措置に注意を払うのもけだし当然のことではある.
また「電算機網上の電話番号」とでもいうべき
IP アドレスは有限かつ稀少なる資源であり
公なる電算機に優先的にそれを分配するのも
世紀末の過渡的現象ながら
やむにやまれぬ措置とは言えよう.
だけど
そんなの不自由じゃないか
不便じゃないか
研究にならないじゃないか
というのが私の意見である.
いまやinternet からの支援なしで研究するのはしんどいことだ.
できれば便利に使いたいと思う.
メイルぐらい自分の机の上で受信して
さっさとその場で返事も書きたいじゃないか.
さてさて,
ところで
この研究室の大学院生の皆さんが
メイルを使うさまを観察してみよう……
なんとまあ,
電子メイルファイルの入ったフロッピィディスクを
持って自分の電算機と講座内に数台しかない
「接続された」電算機の間の
往復運動を……
頭がくらくらしてめまいが起こりそうだ.
その昔,
零式艦上戦闘機の完成品は工場から飛行場まで,
たとえ戦況がいかに逼迫しているときでも,
牛車でゆるゆると半日ほどもかけて輸送されていたというが,
まさにそのような故事をほうふつとさせる情景である.
このような悪しきありさまは,
それもこれも
件の
「私物電算機のethernet 接続はまかりならん」
とかいう
地環研(じゃ・な・く・て☆「院 地球環境」)
の申し合わせとやらが原因であるらしかった.
私が4月から所属させていただいている講座は
野外調査をもっぱらとする研究室である.
かかる調査は莫大な出費を強いるためかどうか,
ともあれ
電算機には十分なる投資がなされていないのが現状である.
院生諸氏に共有使用される電算機は
3世代前のものがあてられている.
たしかに
これらはethernet 接続されており,
すなわち
言うところのインターネット接続は実現している.
しかるに
院生諸氏が自らの机の上で使用している計算機はことごとく
(けなげにも)
私費によってあがなわれたるものであり,
それゆえに
先述の申し合わせとやらによってインターネット接続を禁止されている.
サーヴァーとして使える電算機も講座内にはなく,
「接続された」電算機とてメイルの受信・発信など
貧弱なインターネットクライアントとして機能しているにすぎない.
まずは道路整備工事だ
一方で私はモデリングをもっぱらとするモデル屋であり,
別の言い方をするなら電子的なデータを受け取り,
加工された電子的なデータを送り出す仕事と言ってもよい.
そのような商売人にとって
かくのごとき電算機環境は,
言ってみれば,
舗装道路もなければガソリンスタンドもない村落に
駐在しなければならない自動車販売員のごときもの,
といって差し支えあるまい.
何はさておき,
まずは「道路整備工事」を
と私が考えたのも当然のことである.
さーて……
ともかく私物電算機を公なる「表ネット」につないじゃいかん
というなら,
こっちはこっちで私物電算機どうしをethernet で接続した
「闇ネット」を作ってやろうじゃないか.
これで「闇ネット」内部の
ethernet 接続に関しては
いちいちお上に届けなくても,
自由に付けたり外したりできるようになる.
この種の振る舞いは
断じて「表ネット」には迷惑をおよぼす
ものではない.
さらに,
「表ネット」の世界にあっては枯渇しがちな
IP アドレスも
「闇」の世界ではまったく不自由ない.
なぜなら
世界中の「闇ネット」
それぞれひとつひとつのために
7 万個弱ほど
すでに確保されているためである
(192.168.0.0から 192.168.255.255 まで).
しかしながらこの「闇ネット」の閉じた
電算機網を利用するだけでは,
いかにethernet が高速情報転送回線であるとはいえ,
その恩恵を十二分に活用しているとは言えまい.
何としてもインターネットなる
万国電算機回線網に接続を果たさねばならない.
そこで「表ネット」と「闇ネット」を介在する「闇ルーター」の
必要性が浮上してくるのである.
これはどのような機能を持たねばならぬのか……
「表ネット」に接続された電算機がこちらを「見た」としよう.
すると,
あたかも「闇ルーター」一台だけが「表ネット」につながっているように
見える.
しかしながら,実は「闇ルーター」の陰に
「闇ネット」が隠れている.
これに「闇接続」された
無数のホストは「闇ルーター」を通って
インターネット資源を自在に利用している.
「闇ネット」上のホストは「表」からアクセスもできなければ見えもしない
……
これが実現すれば,
あの有難き申し合わせとやらにいっさい抵触しないばかりでなく,
不正侵入が著しく困難,
それでいながら便利で自由な電算機網を作ったことになる.
ネットワークの魔術 `IP Masquerade'
……では以上のような構想を具体的にどのように実現すべきか?
ここにおいて
前クラスターで紹介した“安価で高性能なPC-Unix”であるところの
Linux がそのたぐい稀なる実務能力の片鱗を見せてくれるのである.
いまここに一台のLinux サーヴァーがあったとしよう.
実は,われわれはこれを「闇ルーター」に改造できるのである
(と同時に強力無比なサーヴァーも入手したことになる).
このLinux のカーネル(OS の中核部)は
適切なる「再構築作業」
(難しいことではない)
によって生まれ変わり,
`IP Masquerade' なる
新機能が付与される.
これこそは「闇ルーター」に要求されている能力に他ならない.
新生強化カーネルは
自らのマザーボードに差された二枚のethernet カードのうち
一方を「闇ネット」への関門となし,
他方を「表ネット」にいたる回廊となすことができるのである.
「闇ネット」側には一枚のethernet カードあたり
最大253台のホストが接続可能であり,
それらの利用者はあたかも
そのホストが「表ネット」に接続されているかのように
メイルだのFTP だのWWW を使える.
言うまでもなく,
これらソフトウェア的な改造は一銭の経済的負担にもならない.
最後に残された問題はこの「闇ルーター」なる重責を担うべき
ハードウェアが手近に存在しないことであった.
講座内に余剰の電算機はない.
そもそもPC の「闇ルーター」化には
「『闇』側ethernet カードの追加装備」という
怪しげな
(と思われた)
改造措置が必要である.
ところが私はそれまで
計算機のハードウェアをいじった経験など
まるでなかった.
そういう人間が
血税と引替えに得られた公共の電算機に
結果の見えていない改造をほどこしてもよいのであろうか.
軽率が身上の私とてこれにはためらいを覚えた.
何か策はないだろうか……
そう……
あるいは人は,
そのとき私が正常な判断力を失っていたのだ,
などと評するようになるのかもしれない.
1998年5月下旬の曇りの日.
私は私財とわが全力をもって,
われらが「闇ルーター」たるPC
すなわち試製Linux 機の自作を決意していたのである.
もちろん無事に完成したあかつきには,
それが公的な電算機であるかのように偽装するつもりだ.
(つづく)
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脚注
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意味もなく脚注をつけてまわる悪癖も
今回は発動の余地無く終わってしまった.
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