ぎょーむ日誌 2000-05-01
2000 年 05 月 01 日 (月)
- 0500 ごろ寝た.
1140 起床.
晴れ.
- まだ片付いていない.
うう.
- 1310 自宅発.
1340 研究室着.
- 1530 より,
かとーさんと牧さん
新 D3 による研究発表.
これが 1800 ごろまで続く.
まとめて講評するなら
「どちらも長年のデーターの蓄積はあるので
良さそうな材料を取り揃えているのに,
(限られた時間内で)
それを他人にうまく説明できてない」
ということだ.
D3 ということで厳しく査定したい.
しかし,
これはかとーさん・牧さんに限らず,
他の院生の研究発表でも
そう評価したくなることがある.
- 他ならならぬ私自身もああいう発表やってるに違いない.
だからこそ,
これほどイライラさせられるのである.
高みから達観して
「まあまあ」
などと言ってられない.
「くそっ,
どこかで
あんな下手くそな発表をやったかも」
という焦燥にかられる.
とても他人ごととは思えない.
- 話を今回のような口頭による研究発表に限定する.
口頭発表は見せ物である.
芸人が客の時間を借用して
その代償に娯楽を提供しなければならない.
- なにかカン違いしてる小役人みたいに
「説明してやるからそこで聞け,
てめーらの時間など知ったことか」
というのではいけない.
とくに質疑応答は小役人的だったなあ.
質疑応答も芸の見せ場である.
発表者が場の主導権をにぎり,
客との相互作用で周りを楽しませなくてはならない.
- 芸人は客筋を見極めなければならない.
たとえば背景知識のほとんど無い
大学院新入生もいるんだから
(というか,
講座内の研究主題の多様性を考えれば)
「何のための研究なのか」
を
全くの素人にもわかるように説明しなければ.
「今日の聴衆が何がわかっていて
何がわかっていないか」.
これが推定できなくなったら
すでに研究者としては終わってる
(とても不思議なことに
本邦の多くの科学者は年を取ると
このあたりがダメになってくるよーだ).
基礎的なことはツマらなくて
専門的なことが高級だとみなすのは錯覚だ.
- 「自分は正しい研究を正しくやって得た
正しい研究結果がここにあるから,
興味あるやつだけ勝手に見たら」
という態度は科学の口頭発表にふさわしくない.
「面白さがわかるやつだけ面白がればよい」
というのは芸がなさすぎる.
「聞き手がちゃんと勉強してないから」
「感性の違い」
「データーがまだ足りないから」
と客を責めたり不可抗力だと主張するのも同様だ.
- 科学の世界には
絶対的に正しい知識もなければ方法もない
(正確に言うと,
絶対的な何かがあるのかどうか
人間には分からない).
マシそうに見える方法とダメなカンジのする方法と
それらをぐちゃぐちゃに使って得られた
怪しげでインチキでうさんくさい知識があるばかりだ.
- なんか以前に書いたよーなヨタ話にまた帰着しちゃうけど
(すでに私のアタマは老化しちゃって
同じことしか言えないのか?),
科学の核心は
たまたま得られた知識などではなく
それを得ようとヒネりだした方法にある.
- もちろん,
これは極論だ.
結果のない方法だけの科学はサビしい科学だ.
知識こそは大いなる愉悦の源泉たりうる.
知識は快楽.
しかし快楽だけ追求すると
宗教になってしまうのである.
- 知識というやつは方法にべったりと依存してる.
そして
方法というものを絶対的に評価づける
メタ知識などというものは存在しないから,
方法とは常に恣意的なものであり,
それゆえに知識はいつまでたっても
完全なものにはならない.
これらは
科学の依って立つところである.
たとえば
「絶対的真理」が存在するだけでなく
人間にそれが理解できると教えてる
宗教なんかとは大いに異なるところだ.
このあたりの区別があいまいだと
「自分の研究結果は真理だ」
とかいった妄想にとりつかれやすい.
- 卑近なところだと
「有意差がありました」
ってのは,
すごく特定の統計学的モデルによりかかって
言ってることにすぎない.
それなのに,
どういう手法を用いたかが全く説明されない.
データー解析の各段階で
わりと恣意的に見えるモデルを使っているのに
……
ああ,
そういう自覚がまったく無いから
説明をトバすんだろうなあ.
解析のやり方といった「方法ごとき」には
左右されない「真理」がある,
とでも?
- 科学者の世界でも
専門家なるものの小集団が
形成されることは
よくあるんだけど
……
そういうサークル内部だけで通じる
「真理」とかに基づく怪しげな体系が形成されて,
不安に耐え切れなくなった人々に
ココロの平和を提供しているよーだ.
- こういうカルト化の度合を調べるには,
「素人」への説明がうまくできるかどうかで
判定すればよいだろう.
閉じた小集団内部では説明ぬきで成立する理屈が
外の世界で通用するかどうか.
「無知」は破壊と創造の源泉なのかも.
- 科学の (これは口頭に限らず) 発表は
「あるコトをいうための
必要十分条件を押えているか」
(いやいや,
「押えてないじゃないか」と
誰かにイチャモンつけられないような
守備体制を整えているか)
の
妥当性を検討する攻防に他ならない
(数学ほどの論理的な厳密さが要求されてないけど).
このような知的格闘が
目の前で繰り広げられるのが
他人の口頭発表を聞くときの楽しみだと思う.
- しかしながら,
「正しい結果を得た」と狂信してる発表者は
観客から見て面白くないことこの上ない.
防衛線が一点でも破られれば
すべてを投げ出してしまって
「煮るなり焼くなり勝手にしろ」
と開きなおってしまうからだ.
あるいは誠意ない小役人みたいに
「貴重なご意見確かに承りました.
持ち帰って善処させていただきます」
で終わってしまう,
とか.
そうぢゃなくて,
しぶとく整然と撤退しつつ
敵がちょーし乗って深追いしてきたら
逆襲に転じてこてんぱんにやっつける.
客としては
こういった芸を見てみたい.
- ……
「じゃあ自分なら
この材料で
もっとうまく発表できるか?」
そう考えては,
そのたびに痛いところ突かれた.
それゆえに,
何とも腹立たしい思いのする
研究発表なのでありました.
そのおさまらない腹立たしさを分析してみると,
上のようになってしまったわけです.
いやはや.
- 1800 すぎから地環研電算機網が
北大電算機網から切り離されてる.
また引っ越し関連の事故かな?
- こんな時間に腹が減ったので,
昨日の残りのパンをかじる.
- 北大では分散協調型 DoS 攻撃に参加させられている
ホストが数十台もある,
とのこと.
相変わらずセキュリティーが甘い.
- 講座引っ越しにおける院生部屋担当の浦口さんが
レイアウト試案を web 上に発表されたので,
講座のトップ'ペイジ
からリンクつけ,
ついでに「引っ越し関連情報」の
囲みを作る.
- 2000 すぎてしばらくして電算機網が回復.
なにがどうなっていたのだろう.
- 2210 研究室発.
2250 帰宅.
- 帰宅して上のようなこと書いてたら,
すでに 0100.
うう,
新しい現実逃避の方法を発明してしまった.
どうしよう.
- 今日の食卓
- 朝昼兼用 (1230):
生活周期がヘンなせいか,
飯を作る気力もなく,
近くのセイコーマートで
サンドイッチ (180円)
買って食べた.
- 晩 (0210):
ホウレンソウ・モヤシ・
シイタケ・豆腐炒め.