卒論半自動生成術 ─大学の困った人々 (I)─

人間に支援された計算機の仕事

(作成19990209)

( これまで のあらすじ)
「民主的」 会議で失墜した講座の面目. 閉ざされた世界の最下層民ゆえに あらゆる汚れ仕事を押しつけられる 「誇り高き」 大学院生. 生きのびる過程で 「すべてを失って」 なお学士号取得に執念を燃やす卒研生. 譲歩はありえない. それゆえに, 激突は避けられない.

    Z君の卒業研究(卒研) は順調かね.
計算出力ならば次々と得られています.
    やあ, すばらしい. ついに彼は 電算機に自らの意志を反映させる術を 体得しつつあるのだな.
まさか. 私がZ 君専用に組み上げたシステムを 動かしているだけですよ.
    君が組み上げたシステムとやらで 彼が為さねばならないこととは 何なのだろうか.
そうですね…… 「ログイン名とパスワードを入力する」 「計算に必要な4つのパラメーターを入力する」 「計算システムを終了する」 というところまで 「人間という部品が動作しなければならないこと」の 簡略化に成功しています. 「計算システムを起動する」といった 余分な過程はすっとばして, 自動的に起動するような工夫を積み重ねています. これでもなかなか手順を覚えてもらうのに苦労したので, 最後はイラスト入りマニュアルを作成して, それを見て操作するようにしてもらいました.
    ……うーむ…… そうか, その「4つのパラメーター」を Z君があれこれ考えながら試行錯誤によって うまく調節するところが……
とんでもない. 入力すべきパラメーターセットは あらかじめ表にして渡しておきます. 彼には鉛筆でそのびっしりとならんだ数値に印をつけながら 作業を進めるように三度ほど同じことを説明しました.
    なんたる人間疎外. なんたる絶望工場. だいたい事前に 探索すべきパラメーター領域が わかっているなら, それも君のご自慢らしい その自動化とやらで……
そこまで自動化してしまっては Z 君がやるべきことは 何もなくなってしまうではありませんか.
    いやはや. ところで, Z 君はどのようにして その計算結果を知るんだろうか.
最初は計算結果を ぱっとモニター上に表示するようにしてみました. ところが, 彼はなぜかグラフが目の前に現れるとひどくおびえて, むやみに画面上のあちこちをクリックするので困りました. 結局, 計算が終了すれば直ちにそれをそのまま 印刷出力するようにしました. なにしろ 「本学科の教授・助教授たちの総意」 と称して 「分厚く美しく」 とかいう 阿呆らしい付帯条件をつけられてしまったので, ひとつのパラメーターセットにつき3枚の 美麗きわまる描画が得られるようにしてます. モニターの画面上には 「計算終了しました. 印刷中です」 という「親切な」メッセイジが表示されるだけです. もちろん日本語ですよ.
    なんとも ヒトとしての尊厳の欠落した 陰惨きわめる光景ではないか. 命令書どおりに作動する人間, 延々とつきることなく 吐き出される印刷出力, 「ユーザーフレンドリー」と称して はばからない 不気味な日本語警告文.
さぁ, どうなんでしょう. しかしながら, こんにち 「オレはパソコンを仕事に使っているんだ」 と主張している人々の多くは, かのMicro$oft 謹製のソフトウェアなんぞという Z 君と大同小異の苦界に自ら望んで 身を沈めているばかりでなく, それに深い満足感を覚えているようですし.
    本当にそこまでしなければ, 彼は電算機を使えないのだろうか.
私が二六時中見張っているいるわけにもいかないので, Z 君がログインすると同時に彼の行動を自動的に監視する プログラムを走らせるようにしているんですけれど, その報告を見る限りは, これほど簡略化してもまだ失敗ばかりしてますよ.
    自動監視プログラム…… どうやら君の講座では教官ばかりでなく 大学院生までもがOrwell の狂った世界に 住んでいるらしいな. いったい何がそのような 人間不信をもたらしたというのだ.
そうですねぇ…… 教えたことを直ちに一瞬にして きれいさっぱりと忘れてくれるさまは なかなかに衝撃的でした.
    言うところの 短期記憶と長期記憶なるものを 連関させることに何らかの困難を覚えている, それだけのことだろう.
彼は自分が現在やっていることの正しさを, 自らの経験に基づいて確認するわけでもなく, 電算機と相互作用によって誤りを正すわけでもなく, ただ私の表情をうかがうことで判断しようとします. たいへんに不快です.
    それぐらいのことで 不快だと言い立てるほどでもあるまい.
彼が電算機の前に座ります. 私がその横に立ちます. 彼はリターンキイを押す前に つねに何かためらいのようなものを覚えるらしく (あるいは何か深遠なる哲学的問題に 直面してしまったのかもしれません), 人指し指をキイボード上空で迷走させたあげくに, 私の顔をのぞきこみ じっと表情を確認します. 当然の帰結として, 彼は電算機のモニターを眺めている時間より, 私の顔を見ている時間のほうが長くなってしまうのです.
    おそらく 君の顔に何か愛着のようなものを 感じているのではないかな.
ジェンダーに関する帰無仮説の 妥当性を主張する人々には 心底からの理解は示すまいと 心密かに決意している 私自身は, その方面においては いわば一種の差別主義者のつもりなのですが.
    君の趣味はともかく, 計算システムの部品扱いされている Z 君としては 楽しいことが何もない 苦痛に満ちた毎日を 送らされているような気がする.
ところがところが. 画面上に現れるグラフィックスに恐怖し, キイと指先の間にはたらく斥力の実在を証明していた Z 君なんですが, 「印刷」という作業には ひどく心惹かれるものを見いだしたようです. プリンターから紙切れが吐き出されると 実に嬉々としてそれを眺めているのです. ついに彼は 「数値を入力してリターンキイを押せば, どんどんプリントアウトが得られる」 という因果関係を独力で学習して以来, キイを押すまでの「ためらい」時間が 指数関数的に減衰してしまいました.
    それによって, 具体的には, 彼はいかなる人生の転機をむかえる ことになったというのだろうか.
なんでも 本人が言うには 「シュミレーション」とか称するものについて, 認識の新しい次元に到達してしまったそうで.
    うーむ…… 「シュミレーション」……か. ま, 理解が深まったと体感しているならば, べつにそれでもいいじゃあないか.
ああ,ならば 彼が 講座の教官たちの計画している卒論発表会とやらで 発表したがっていることもまた, 寛容のココロで受け止めるべき事象なのですね.
    「プリンターを自分で動かしている」 という彼の自信はついに 教育公務員と呼ばれる人々に対する 恐怖すら乗り越えさせたということか.
教育公務員と呼ばれる人々の多くはその職業柄ゆえか, たとえば弱みを叩くといった手法などなどでもって 生徒を萎縮させることに 適性と嗜好を有していますよ. Z君が何か誇大妄想のようなものに取り付かれて 卒研発表会なんぞにのこのこと出かけようものなら, またまた新しい精神的外傷を増やすのは必定ですね. ともあれ, そもそも私はそういった場に立ち会うつもりは 毛頭ありませんが.
    おやおや, 「愛弟子」が壇上で立ち往生する姿は 見るに忍びない, そういうことかね?
いやはや,違いますよ. 行き詰まったZ君は どういう振る舞いをするか予想しただけで 気分が悪くなるのです. きっとこっちの表情をのぞきこむこんで 顔色をうかがうことによって 自分が何をいうべきか 判断しようとする, そうにきまってますから.

(つづく)


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