卒論半自動生成術 ─大学の困った人々 (I)─

分厚く美しくゴミのような卒論

(作成19981125)

    そもそも ことの始まりは.
あのZ 君が大学の学士課程を修了したい, と言い出したことでしょう.
    あのZ 君か. 昨年度は単位が足りなくて卒業できなかった. で, なぜ大学院生である君がその問題に関わるんだ.
この学科においては 単位なる信用通貨さえそろっていれば, 卒業研究なんぞと呼ばれる儀式を にぎにぎしくとり行わなくとも 学士たる資格が与えられることになっています.
    話がまるで見えないが.
Z 君は今年度もこのままでは単位がまったく足りないので, ついに「選択科目」のひとつである「卒業研究」なるものに 手を染める決意をしたそうです. あれはボーナス得点のように単位の大盤振る舞いをしますから. ああ, いかなる神の恩寵のしわざか 彼は就職先を見つけたんです. 大卒生にその資格があるという.
    依然として君には何の関係もない.
卒業研究(卒研) による学士課程修了という Z 君の大望を知った 当講座の教官たちは仰天したようです. それだけならまだしも, 私にその面倒を全部みろ, と.
    同世代数十万人の中にあって── 世界に冠たる わが文部省的選抜体系に 比較的順応していた人物であったがゆえに Z 君はこの大学に在籍しているのだろうが…… そのおかげでというべきか, あまり研究むきの人物ではないな.
過大評価をするなら, そのとおりです.
    まあまあ. よくある話じゃあないか. そして 彼が教官たちから見放されたのも それほど驚くような出来事ではあるまい. 君の講座の教官たちというのは 「学部を出て就職するような学生は 自分達の『業績』を増やすのに役立たないから 面倒を見るのはいやだ」 とか何とかいつも公言してはばからないんだろう.
教官たちの信念なんぞはどうでもいいんですが, Z 君が彼の考えているやりかたで単位をとり揃えるのは かなり無謀であるような気がしたのです.
    なーに, 君. 難しく考えることはあるまいよ. これまでにも彼のような卒研生はいたんだろう.
ええ, Z 君の先達たちがそうしたように, 今回もまたリポート用紙2-3 枚に 何事かをもっともらしく書き付けて, それを 卒業論文(卒論) と称して提出させれば いいじゃないか, 最初はそう考えていました. 卒業研究とは各講座の裁量と責任で行うものですからね.
    めでたし, めでたし. これにて一件落着か.
ところが 他ならぬ当講座の教官たちが それは禁じ手であると 申しわたしたのです.
    いかなる心境の変化だろうね. 自分では面倒を見ないという大方針は堅持しているのに.
なんでも 昨年度の当講座の卒論にそういうシロモノが混在していたとか.
    それで.
それが年度末の学科会議で問題とされ, 当講座はけしからんという結論になったそうです. 何しろ 分子生物学系の講座は, まず 大学院生たちを酷使して 卒研用の精密きわまりない処方せんをきちんと書かせるから, まるでわけのわかっていない学生であっても, そこに書かれたとおりに 「研究」を進めれば, 結果としてはそれなりにお作法どおりの 「型」にはまった「論文」なるものが生産可能なんですね. 他講座の教官たちは 「わしらはみんなこれほど卒研を『きちんとやらせている』のに, あの講座だけはそれを怠っていてまったく許しがたい」 とでも 考えたようです.
    小学校の「今日の反省会」で日々用いられているロジックだな. 「ボクたちの班はきちんと掃除をしているのに, ○○クンの班はサボっているので クラス全体にとって良くないことだと思います」 か.
で, 一方において 当講座の教官たちは 学科会議における そのような屈辱は二度とは耐えがたいから, 他講座の教授・助教授たちの目にさらされる 卒論は 「他のどの講座もそうであるように, ペイジ数が十分あるぶ厚い, 見てくれが美しく体裁の整ったものにしてくれないと 僕たちが困る」 とのことです. みんなと同じモノでなきゃイヤだ, ということでしょうか. なにしろ 当講座がこの学問分野における非主流派 すなわち 理論系であることに いつもコンプレックスを感じている人々ですから.
    他講座の卒研にまでも口出ししたくてたまらない 熱意あふるる聡明この上ない人々もいれば, そのおせっかいをありがたく拝聴するだけでなく 自らの面子を守るためだけに 大学院生の労役時間を延長して 恥じるところのない 聖人君子もいる, ということなのかな.
ええ,まったく. さらに, それを私に押しつける際に添えられた言葉には 感銘ぶかいものがありました. 「これは君自身のためになることである」
    まさに感銘を受けざるをえない深遠なる教育的配慮. しかしながら, その教官は他人を騙すだけでなく, 彼自身もまた 自分で作り出した欺瞞のとりこになっている, という点で George Orwell が創造した悪夢のごとき世界の 住人になりつつあるようだな.
そうそう彼らにはもうひとつの口実があるんでした. 「学科会議でみんなで決めたことなのだから」
    なんたる民主的態度. これこそ50年前にかの新大陸ですら 異端者あつかいされた理想家たちが目指し, かつ 本邦の文部官僚ならびに教育公務員諸賢の永き年月にわたる 努力の結晶とでも称されるべきもの. しかしながら, その「みんなで決定したこと」云々とやらが 面白からざる顔付きの大学院生と対面した瞬間に 脳裏に去来した その場しのぎのための 創作である可能性を 君は未だ検討していないのではないか.
なにゆえに 尊敬すべき教育公務員の言葉に 私ごとき一民間人が 疑義を差しはさむ余地がありえましょうや. そもそも, もしかりにそのような戯言で当方を騙せると考えているなら, もはやそれは先方の正気の所在を問われるべきでしょう.
    君はいま少し誠意を感じさせるしゃべり方ができれば 詐欺師として大成できる可能性があるのだが.
詐欺師はもちろん 教育公務員ですら務まらないでしょうね. なんとならば あれほど素晴らしい職場には, 人並みはずれた資質だけでなく まさに至誠とでも呼ぶべきものが 要求されているようですから.
    ふむ. 大学は今後ますます素晴らしいところになるぞ. なんとならば大学院が「重点化」されていくのだ.
ああ, 私が現在直面しつつあるやっかいごとが 大学院においても その規模を拡大したかたちで頻繁に発生する, そういうことですね. そして この学科の 教授・助教授たちのような 万人の平等を追求してやまない 民主的な素晴らしい人々の 再生産速度もきっと高まるに違いない.
    あるいは拡大再生産かも. そういった素晴らしさの要素が 世代ごとに濃縮されていくのだ. 食物連鎖における有機水銀のように.
希望に満ちた世界. うるわしき新世紀. ともあれ その輝ける戦後民主主義教育の完成する姿を 拝謁させていただく前に, 私の大学院生としての使命感を鼓舞してやまない この命令を何とかしなければなりません.
    君は講座の教官のその要請とやらを断ればよい. いかに君のごとき 悪辣非道な大学院生といえど, そのような 虚しい奴隷奉仕に従事せねばならぬという事態は 何によっても正当化されないのだから.
私が断れば 誰か従順な院生が 犠牲者として選ばれるだけです. そしてその真面目な奴隷が 心労に満ちた日々を過ごすことになるでしょう. それでは面白くありません. そこで, 私はこのバカバカしい雑用に対して最大限の悪意をもって 対処する構想を練っているところです. 文部省の作り上げた選抜体系をくぐりぬけることだけに 全知全能を捧げてしまった一大学生. そんな人間が自分で何をやっているのかも理解しないまま むやみやたらと計算機に吐き出させた ゴミのような計算出力を あたかも一個の研究であるかのように見せかけ, その成果を 先方のお望みどーりに ただひたすら「ぶ厚く美しく」 まとめあげ, よその講座の卒研に口出しするか 大学院生に押し付ける新たな雑用を創出するぐらいしか 能のないやつらの面前にたたきつけてやるつもりです.
    君は 大言壮語を好む 口舌の徒ではなかったはずだが. それとも 君の講座の国教ともいえる, 無理なことでも毎朝毎晩の詠唱を欠かさねば いつかは実現するといった あの不可思議な観念論にでも 宗旨がえしたのか.
私の自作プログラムによる 計算機のほぼ全自動なる運用, そして 頭ががちがちにカタい連中の死角をつけば その程度のことはできるはずです. いったん完成したら, その内容がめちゃくちゃだと 激怒する教官がどこかの講座に現れたとしても, 当方の関知したことではありませんね. 何しろ体裁だけは完璧にするんだから. 内容すらも問題にしたいなら, まずは学科会議で「みんなで決めて」からにしやがれ, ということです. 誠実な大学院生には構想すら思いもつかない 愚劣な対策かもしれません. しかしながら, 私なればこそ可能という狂信はあります.
    どうやら やむにやまれぬ犠牲精神の発露というわけではなく, 本当に 君は教官たちを単に愚弄してみたいだけなのだな. 結局, どっちもどっちではないか.
もちろんそうですとも. しかし 思い知らせてやるのですよ, この学科に在籍するすべての教授・助教授連中に. 人はその愚かしさに見合った罰を受けることもあるのだと.
    そういう歪んだ邪悪な笑いは, 誰をも幸福にはしないよ.

(つづく)


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