“平八郎提督の粋”

久保拓弥(九州大・理・生物 昭和63年入部)

九大山岳部OB会news 51号に掲載された 記事の一部抜粋改定です. (19971217)


 日本からの電子メイルを読むことは渡米中の楽しみのひとつであった. ことに筑波山麓在の平八郎提督と名乗られる九大山岳部の先輩からは ほぼ毎週メイルをいただき,異国での生活をはげましていただいたのである. その徳は山より高く海より深いと言うべきだろう. 提督も若い頃は伯林に留学されたかたである.そのときを振り返りつつ, 間抜けな後輩を激励してくださったのかもしれない.

 それらのメイルはあまりにも洞察と機知に満ちているので, このまま私のディレクトリに死蔵するには惜しく, ここに無断ながらその達文の一部とそれに対する私の返信を書き写すことにする. なお,提督は世を捨てておられるそうなので, 平八郎とは誰なのか詮索したりしてはならない.

 この年(1997年)の日本の夏は凄まじい暑気であったとのことである. 例えば,7月にいただいた "atsui atsui atsui atsui atsui atsui"と題するメイルには,

    日本は可成り暑い.
    40度を越えた.
    記録的には随分久しぶりの由.
    一月前は30度程だったので,
    8月には50度を越える予定である.

…とあるので, たまさか驚いて「私が帰国する10月には70度を越えるのでは!」 との懸念を表明したところ, ただちに返事をいただいた 「大丈夫.日本の沸点は67度だから既にそのころには蒸発しているよ」.

 また「調査終了」と題するメイルでは, その夏の困難きわめた北アルプス・表銀座縦走の記録を送っていただいた. その末尾に,

そうそう異常といえば松本駅の新待合い所で,となりに座った中学 生か高校生かしらんがその辺りの男がやおら妙な金具を取り出し, 耳にその針状部位を突き刺し,留め具で固定しおった.あれは何か ね,泳ぎながら岩魚か何かを釣るための新兵器なのかね.いやー, 長生きするといろんなものが見れるのう.なんまいだぶ,なんまい だぶ.

…とあったので,私も及ばずながら,

 当地は保守的なのか,奇天烈な外見を誇示するにーちゃんねーちゃん を(もちろんじーちゃんばーちゃんも)見かけたことがありません. ただし,太陽光線にある種の信仰があるらしく,太陽照射強度がある値 をこえると,それこそけっこうなじーちゃんばーちゃんに至るまで 半ズボン(Shorts)の着用におよびます.大学生〜院生の世代だと その着用比率は9割を超えます.奇習です.しかし数年後には日本人 もまねするかもしれません.私は浴衣のほうがまだマシだと思うのですが.

…なる当地の風俗見聞を返書したところ,

学生時代の最後半の夏には私も半ズボンで学内を闊歩していたものだよ. 何しろ私は,九大一のモボだと言われた男だからね.ははは.

…なれば恐れ入るほかあるまい.

 あるとき,日本から私あてに航空便の小包がとどき, 差出人はと見れば平八郎提督である.さてさて,その中身である:

    ゴムゾーリ 一足.
     提督御用達ブランドのもの.

    柿ピー 一袋.
     柿の種というぴり辛醤油味の米菓子とピーナツを混合したもの.

    カップラーメン 一コ.
     カレー味.ただし容器は空輸中に粉砕ずみ

    割り箸 二組.
     おそらくはカップラーメン用と思惟される.

    輪ゴム鉄砲 一梃.
     輪ゴムを射出する木製短銃.実弾(輪ゴム)多数.

    ガマの油 一つ.
     筑波名産.

    一億円札 一枚.
     ただし布製.

…というものであった.私はいささかの困惑を覚えたので,

研究室のメリケン人に逐一そのわびさびを伝えようとしたのですが, 私の英語が拙いためか,風流の心は伝わらず,何かしら滑稽なモノと 受けとられてしまい,まことに面目ありません.

…と書き送ったところ,折り返し衝撃のお返事をいただいた.

    夷狄の無風流は今に始まった事じゃないが,
    粋人平八のサバイバルキットが無事届いたようだね.
    これで久保君は,いかなる状況に置かれても何の差し障りもなく対処できる
    というわけだ.良かった,良かった.

 何と!あれなる包は異国ノ地生残七ツ道具であったのだ. すなわち,ゴムゾーリにて野山を踏破し, エッセン(行動食)として柿ピーをかじり, 夕餉にはカップラーメンを箸もてすすり, 敵に会ってはこれを輪ゴム鉄砲にて打ち払い, 負傷すればガマの油を塗り, ついには地獄の沙汰も金次第なるべしとて 一億円札を用いるわけである (いくら円安と言えど,一億円は当座のしのぎとしては確かに十分であろう). 嗚呼,私は山岳部一先輩の深慮と粋に涙するばかりであった……



戻る.