「恐怖」の電算機会社

「恐怖」を克服することが「生きる」ことだ
ディオ=ブランドー (英国人,1867?-1989?)

修理に出していたノート型パソコンが帰ってきた. ハードディスク・ マザーボード・ 液晶ディスプレイと いった主要な部品がことごとく換装されてしまった. しかも 入手してからまだ一年にも満たないというのに, 愛機との別離を強要されたのは これが初めてではない. 液晶ディスプレイの交換はすでに二度目であった. なんとも脆弱なこの電算機を製造・販売しているのは 日▲※○機という あまり人口に膾炙していない 株式会社である. 同社はいったい何を考えて このようなものを作っているのか. その謎について考えてみたい.

アイアン=ワークス

九州大学にいたころから同社の製品群とは 浅からぬつきあいがある. 日本の大学では大学院生を便利な (すなわち金のかからない・ 24時間いつでも働かせてよい) 計算機管理者として 酷使するうるわしき伝統があるので, 私の所属していた研究室の大学院生たちの一部 (たとえば私の電算機師匠であるとーや師匠) もまた同社製品の特性を知悉せざるをえなかった.

そして このようにして長年にわたり それらと苦楽をともにしてきた 奴隷技官たちは いまや疑いのないひとつの結論を共有するにいたった. 日▲※○機製の電算機に関しては ひとつだけ確実で信頼してよいところがある. もちろん「確実に壊れる」という点で. 何事もさだかならぬ当代にあって, この確からしさは それだけでも美徳だと言いうるのかもしれない, そう錯覚するほどであった.

話はさらに数年前に遡る. 1990年代中盤に始まった日▲※○機の九州進出, その尖兵たるA 氏は 電算機会社営業担当要員としての資質を十二分に備えていた. まだ二十代の若さながら 福岡から鹿児島にいたる九州島全域を たった一人で担当しており, 同社の人使いの荒らさに押し潰される様子もなく その製品を右から左へと売り捌いていた.

このころの同社の製品には 卓越したアドヴァンテイジがひとつだけあったのである. Sun 互換機が流行していた時代であった. そして 同社は同業他社よりずっと安い値段でそれを販売していた. そう, 私が所属していた研究室が (いやそれだけではなく理学部内の少なからぬ研究室も) 日▲※○機ブランドを買っていた理由はそこにあった. 同社の製品は安かった. 営業担当氏は売り込みの才能があり熱意があった. そして何より 私たちは日▲※○機製品の何たるかを未だ理解していなかった.

「私どもはお客さんに製品の全てについて 隠すことなく正直にお話しするようにしているんですよ」
作業を進めながら辣腕の営業担当氏がなぜか嬉しそうに言った.
「なるほど. 信頼関係を重視, ですか」
数ヶ月後にマザーボードを交換せざるをえなくなる 新規納入のワークステイションの初期設定をする氏を眺めながら 私は尋ねた.
「そーなんです. お客さんにウソついても結局ダメですからね. 信頼が何より重要というわけでして」
私の傍らにはまもなく内蔵ハードディスクが不調になる 同社オリジナルの (と言われているがアヤしい) PowerPC (PPCP) マシンが そんなそぶりも見せずに安定して作動していた.
「それこそはまさに商売の王道にのっとった 尊敬すべき企業の態度とでも言うべきですね」
無知蒙昧な私はもっともらしく聞こえることを口にしていた.

神々の黄昏

年月が経過した. 私は同社に対する理解の程度を深めていった. データーごと電算機が吹っ飛んだときには 内心で思わず てろりすと企業 よばわりしたこともあった. もちろん同社製品の (事故発生時のコストを無視するという むちゃくちゃに非現実的な条件つきでの) コストパフォーマンスの良さには それなりの敬意ははらっていたつもりである. そしてあれは たしか1996年の秋のことだったと思う.

「御社の製品に組み込まれたハードディスク (これは御社の製品ではないんですけどね) は なぜか壊れる確率が異常に高いようですね」
自分の体験をふまえつつ 私はそのような感想を述べてみた.
「ええ, たしかにそうなんです. 原因はよくわかりません. そのことで 私もあっちこっちに呼びつけられています. 他の地区でも同様のようです. ハードディスクのことだけでも対応がたいへんです」
九州地区営業担当のA 氏はそれを認めた. 疲れているようであった. ややあって, 次の言葉を発した. 彼の口調には(珍しいことに) 自嘲の成分が含まれていた.
「しかし, その問題に関してウチの本社は ついに抜本的な解決策を見いだしたということです」
圧倒的な低コストかつ それなりに高速なPC-Unix の台頭しつつある時代でもあった. 日▲※○機は価格面での優越を急速に失いつつある. 局面を打開する奇策でも考えついたのだろうか.
「ほう. その“抜本的な解決策”とは?」

彼はしばらく沈黙したあと, 投げやりな口調でいっきにまくしたてた.
「ハードディスクを持たないコンピューターの販売です. どーです, 抜本的でしょう. フロッピーもつけません. マザーボードとCPU と筐体とCD ドライヴだけの. そう, 最近のコンピューター雑誌のニュース欄でとりあげられる NC (ネットワークコンピューター) 構想に似てますよね. はいはい, そりゃあ この先NC が普及するかどうかはわかりませんよ. そーです. そのとーりです. たしかにウチの社長は新しそうな怪しげな技術が好きです. NC とかPowerPC Platform とか, 海のものとも山のものともつかない. え,売り込み先ですか. さぁ,なんでも学校にも企業にも一般家庭にも 売り込めとは言われていますよ. 営業担当は それを10万円で10万台売ってこいと. ははは. 10万台ですよ, 久保さん. ははは」
数週間後, A 氏が日▲※○機に辞表を提出したとの報に接した.

後任の営業担当氏はおよそ商売にはむかないひとであった. 日▲※○機は人材がすでに払底しているのだ, とわれわれ大学内奴隷技官たちは結論した. 勇敢な野戦指揮官を失うことによって, 同社の九州侵攻作戦はここに頓挫した. また, その「ハードディスクのない電算機」を最後に 同社の独自性を前面におしだした 新製品開発も以前ほどには進捗しなくなった.

最近の同社のweb page が主張するところに耳をかたむけるなら, 今後は「インターネット上のマルチメディア」こそが 目指すべき場所であるかのように述べている. 残念ながら私には何のことなのかさっぱり理解できない. 金儲けには端倪すべからざる技能をもつ企業なので, ひょっとすると 何かより効率的な資本の運用方法を見つけたのかもしれない. あるいは 万国電算機網こそ彼らのヴァルハラ, そういうことなのかもしれない.

明日を越える旅

どうしてそんな信頼性のない会社の ノートパソコンを買ったんですか. 修理され (保証期間内だったのでこの大改修は無償であった. 金を取られていたら私とて 何かを罵倒していたかもしれない) 帰ってきた愛機に PC-Unix を再びインストールしている私を見て, 北大随一のMkLinux の使い手である 加藤悦史氏が不思議そうに尋ねた.
「いやあ, 当時(わずか1年前のことなんですが) JIS じゃないUS キイボードのついたノートはこれしかなくて. JIS キイボードはいやなんです」
ああ, こんな理由は説得力がないだろうな…… はたして, やはり理解しかねるといった表情で 彼は戦慄すべき可能性を口にした. 久保さんはなんだかんだ言って 日▲※○機のことが好きなんじゃあないですか.
「加藤さん」
私は思わず手を止め, 加藤氏を見据えた.
「われわれの関係は断じてそのようなものではありません」

いつ襲いかかるかわからぬ故障に備えるべく データーのバックアップをこまめに取ることは いつしか習慣となっていた. 明日の災厄を乗り越えていくための作業を 毎日毎日こなしているうちに, ある日突然に自分がもはや同社を必ずしも憎んでいるわけではない ことに気付いた. 念のためにあわてて補足しておくが, だからと言って愛しているわけでもない.

同社の製品とつきあってしまったのは, いわば逃れることのできない運命のようなものであった. その場に踏み止まって対峙しなければならなかった. 数々の失敗をくりかえし, 不安と絶望と戦いつつ 私は不慮の事故における被害を局限する知恵を 日々の生活の中に織り込んでいった.

同社からの最後の買い物である 件のノートパソコン (これにはLinux というPC-Unix をインストールすることができる) にいたっては いつ壊れても決して自分の仕事の邪魔はさせない と思いながら入手していた. 自由度の高いPC-Unix を使うので, 遭難対策の手間もかなり軽減されるはずだ, と考えながら (そして今回の“崩壊”に際して, この予測は現実のものとなった).

つまり, 私は日▲※○機の製品に発生しうる故障に的確に対処し とことんそれに付き合う意思と技術を自分のものとしつつあった…… ああ,そうか. つまりはこういうことなのだろう. 同社は製造・販売業者などではなく一種の教育機関, そうみなすべきなのである. であるならばすべて納得がいく. うん, そうに違いない.

いつか誰にでも確実におとずれる「破滅の日」. その悲惨な非日常に毅然として立ち向かうためには, 平和が続くかのような日常にあっても つねに覚悟と備えをおこたるなかれ── 言葉ではなく (何と) 自社製品の品質をもって 日▲※○機は それをわれわれに伝えようとしているのである. 希望におぼれず 絶望にとらわれることなく なけなしの勇気をふるって 「恐怖」を直視しつつ 「生きる」のが人間なのだ── 次々と壊れていったあの電算機たちは そう語っていたのだ. そう解釈すべきなのだろう.

思えば, 不思議な企業があったものだ.

(19981027)


九州大学の「闘う電算機管理者」 とーや師匠 による特別寄稿 「私と日▲※○機」 もぜひあわせてお読みください! (久保)


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