1999年
4月下旬から5月初旬において生じた
一連の計算機関連事件の
ヨタ話を集めてみた.
「……というわけで,
七階への人口のすみやかな移動のためには
<闇ネット> がもう一つ必要,
そういうことになった」
「ま,三階の人々はすでに< 闇ネット> という
禁断の果実の味を知ってしまったわけですから.
いまさらインターネット接続すらままならない『僻地』には.
いやはや,
分断国家ならぬ分断研究室のインフラ格差も好ましくありませんね」
「そういうことだ.
すでに『洗脳された』連中を逆洗脳するよりは,
当面は望むモノを与える懐柔策に」
「現実的です」
「予算は認められる」
「<闇ルーター> 新造だけならば
六万円もあれば必要な部品はすべてそろいますが……
Ethernet ケイブルだのHUB だのも
多少は買わねばなりませんね.
そうだディストリビューションは
いまはやりのVineLinux を試してみようかなぁ」
「楽しそうだな.
<闇ネット> が七階にも張り巡らされるのが
そんなに嬉しいのか」
「まさかまさか.
私はPD 研究員が果たすべき責務,
その一端を
講座内の公的な事業として実現しようとしているだけですよ」
「なんとも奇怪ですね」
かとー< 北大随一のNuBus MkLinux 使い> 大先生
は首をかしげた.
「なぜ,
PCI バスにさされた(Ethernet) LAN カードを認識する,
といった簡単なことすらできないんでしょうかね」
われわれの手元には,
内部構造を露出したまま
オペレイティングシステムの試験運転に供されている
新造<闇ルーター> があった.
「ま,
こーゆー場合には
あまりマジメに考えてもしょうがないですよ……
なぜならば,
ですねえ」
私はいったんシステムを停止してから電源を外し,
ついで
基盤からいつくかのPCI モジュール盤をぬいた.
今までとは異なる配置でそれらをバスに差し込みなおし再起動.
「PC の部品体系というのはMacintosh のそれに比較して,
まぁ何と言うか無秩序というか多様性にとんでいるというか……
単に私にはよく理解できていない,
ということもあるんですが,
ともかく色んなメイカーが勝手なことをやっているわけで.
それでもあれこれやってるうちに動くこともあります.
まさに
クラークの第三法則
『十分に発達した科学は魔法と同じ』……
というのはホメすぎ,
というか皮肉になってしまいますが.
ともかく,
うまくいかなければ
『呪われている』んですよ,
それは.
むしろ,
そういった安易な解釈のほうが無難とでもいいますか……
なんとも現象論的ですけどね」
いつのまにか
起動作業を終えたオペレイティングシステムは,
彼女が制御すべき機器類の中に
ちゃんと二枚のEthernetcard が含まれている,
と報告していた.
「あれっ……
なんで差し込む位置を変えただけなのに」
「『呪い』によってもたらされた災いならば,
『祈り』をもって解消するほかありませんよね.
われわれ非力な一般大衆にとっては.
このPC なる規格を考えたアメリカのカシこい人々も
かかるモジュール自動認識機構には
Plug and Pray (PnP) とかいう
わけのわからない呼称を与えたわけですし.
いやはや」
オペレイティングシステムを
<闇ルーター> 仕様に再編成しつつ私は答えた.
納得しかねる,
といった面持ちのかとー大先生の詰問.
「えーっ,
なんでなんで,
こうなるのかさっぱりわからないや.
どうしてこの配列だと正しく起動できるんですか」
「それを論理や何かの合理性でもって説明することなど,
私などにできるはずもありません」
私は首をふった.
「すべては『呪い』であり,
すべては『祈り』なのです.
ようこそ,
PC の世界へ」
「この映画にはとても感銘をうけました」
世間はゴールデンウィークだの何だのとうかれているのに
お役所作文と電算機網整備ばかりで楽しいことは何もないよお
……
ぎゃあぎゃあ騒ぐ私を不敏に思ったのか
やかましくて耐えがたいと感じたのか,
ともかく利他的な人々が
「じゃあここで映画観賞会でもやりましょうよ」
と
研究・教育用の備品たるヴィデオ再生機器の
「現場の状況に則した柔軟かつ弾力的な運用に関する解釈」
の実践を提案してきた.
「調査の対象」
に選ばれたのは,
つい先日
物故したばかりの高名な映画監督が
今から40年ちかく前に製作した作品で,
誇大妄想と被害妄想によって織り上げられた機構と
それが半ば自動的に生じせしめた
集約的な熱核連鎖反応ならびに
半減期の長い放射性同位体の広汎な散布がもたらす
この世界のひとつの終焉を描写する内容であった.
「計算機にすべてをまかせると」
利他的な人々のひとりも感想を述べた.
「世界の破滅だ.
そういう教訓でしょうか」
「いえいえ,
そうではありません.
計算機による自動データー処理こそが
この世界に秩序と活力を付与するという内容なのです.
博士も主張していたように」
利己的な私は遥かに遠くを見つめた.
「たとえば,
核戦争後に地下都市で生きのびるべき人々を
ある基準に照らし合わせて選別するといったデーター処理には
計算機を用いた自動化が必要にして不可欠,
そういうことになります.
人間などには耐えがたく残酷かつ退屈な仕事なんですから.
ええ,
ええ,
おそらく高機能汎用データー処理言語の
Perl を用いろと言ってるんでしょう.
そうに決ってます.
え,
Perl が発明されたのはごくごく最近?
だからどうだと言うのです.
計算機に対する
人間の変わることない愛情と
とどまるところのない欲望が
Perl を産み出したわけでしょう.
今から見ればおもちゃのような電算機しか存在しなかった
あの時代にありながら,
すべてを見通しているStrangelove 博士ならば
その方向性にそって出現するすべてを
あらかじめ熟知していたのです.
そうにちがいありません」
「<Lex> ってのはどういう意味なんだろうね」
「ティラノサウルスはRex だし……」
「Linux と何か関係あるのかもしれない」
人々の視線は命名者たる私に集中しつつある.
何か説明してみせればよいのだろうか.
そうなのかな.
「三階のマシンは
<鳳翔> <龍驤> ,
そーですね今後の予定名としては
<蒼龍> <大鳳> といった
『瑞兆をしろ示す天翔生物』の名が与えられますので」
私は信心ぶかい老婆のような顔付きで続けた.
「七階のマシンには,
< Lex (Lexington)> だの
< Sara (Saratoga)> といった
アメリカ独立戦争における
戦闘名ちなむ命名にしようか,
と」
さらに深刻な混乱におちいった人々を背に
私はそこを静かに立ち去った.
「ま,
これであの日▲※○機の役たたずJP4 も
パーツのドナーにはなりえたわけで.
三階の<闇ルーター> は著しく強まりました.
七階の新造<Lex> にも負けませんよ」
「連休中の北大ネットワーク停止期間を利用した
<鳳翔> の大改装,
うまくいきましたね」
「JP4 の中に使える部品なんて残ってたのかしら」
「2GB のハードディスク,
64MB のRAM などは,
<鳳翔> のそれを倍増させたわけですし」
「よっつのSIMM (RAM),
ふたつのハードディスクドライヴ,
ふたつのCD ドライヴ,
ふたつのSCSI カード,
ふたつのEthernet LAN カード……
うーん,
なんとも素晴らしい怪物.
われらが <鳳翔>」
「ふたつのOS は共存させないのかしら.
Linux ではM$-Word の書類を見れないでしょう」
「あっあぁ,ここにもM$ に汚染された……」
「いま久保博士の前でM$ のソフトウェアの話をしちゃいかん」
「だってぇー.
ないと不便じゃん」
「……と思わせるところが,
Micro$oft の悪辣なところというか,
もしくは世の中に自ら望んで
妙なモノに洗脳されたがる人間は
根絶不可能な証左というか……」
「聞いたところによると,
さっさと提出しなければならんお役所書類があるらしいんだけど,
それを
M$-Word98 で清書して出せとか何とか命令されて以来,
久保さんの言動が
ますます偏狭かつ常軌を逸脱したモノになってしまって……」
「Word ぐらい,
ちょいちょいと使ってしまえばいいのに」
「ところがところが.
あの肥大化への暴走的進化が止められない
恐竜ソフトウェアと来た日には,
もはや自重に耐えかねている自壊寸前の有り様で
連中ご自慢のOLE 概念に基づく数式オブジェクトすら
ワケのわからぬオブジェクト指向もどきに呪われてしまって
もうとにかくぼろぼろですよ.
やつらの腐れコンヴァーターでは
Word6 で作ったファイルが
Word98 で正確に開けないのはもちろん
(そもそも何でヴァージョンが変わっただけで
いちいちコンヴァーターが必要なんだ?),
こちらが断腸の思いで
耐へがたきを耐へて
わざわざ完璧なLaTeX ファイルを
RTF に変換してやっているというのに,
そこまで譲歩に譲歩を重ねても
そのRTF すらマトモに読めないんだから末期的ですよね.
あの頭がバカになりそうな
無能極める
『助言する古代Macintoshのアニメイション』
(あれでMac ユーザーに迎合するフリをして
愚弄にしているんだろうなぁ)
ってのは的外れなことをわめき散らすだけで
CPU とメモリーの浪費に他ならないし,
そしてそして何より腹立たしいのは,
こんなけったくその悪いソフトウェアを使えだの
数年先には確実に解読不可能になる
そのファイル形式を採用しろだのと
得意満面でゲテモノ喰いを強要してくる連中で,
こういう手合いとMicro$oft の間で相害共生的な
共進化というか凶進化というか狂進化なんかの帰結として,
近い将来には
ともどもに自滅してくれるのだけは
たいへんにありがたいことだけれど,
その過程において
この計算機に対する愛情が決定的に欠落した
変質的製造者-使用者複合体が
どれほど周囲に迷惑をかけたおせば気がすむのか……
いやはや,
何もかもインチキで
何もかも絶望ですよ」
「ゼツボーですか」
「少なくとも,
久保さんの日常と人生に関する言及であるなら,
まさにその通りねえ」
(まことに蛇足ながら
Linux 用にm$word-view という
解毒ならぬ
解読ソフトウェアが開発・公開されるようになってしまった……
いやはや)
「ここはぼったくりバーか!
<闇ルーター> とかいうものを作っただけで……」
依頼人は悲鳴のような声で叫んだ.
「まぁまぁ,お客さん,
そうおっしゃらずに」
私は愛想良く対応した.
「われわれが
この三階で一年近くにわたって
身を挺して運用経験を積んだ上に,
さらに七階でもすばやく新規展開してみせるという
実績を示したからこそ,
そちらの講座でも
──えーと,五階と六階ですか──
ココロ安んじて
<闇ネット> を導入できるという要素も無視できませんよね.
もちろん,
そのための新造<闇ルーター> を構築するにあたって,
こちらの講座の空間資源・時間資源・電力資源のみならず,
ここにいる皆さんの貴重な人的資源も必要だったわけで」
依頼人は少しおびえたような表情で
彼を取り囲む大学院生たちを見回す.
彼らは他講座の<闇ルーター>の建造において果たした
多大の貢献について口々に述べたてていたのだった.
「ぼくは組み立てをほとんどやったし」
「オレはドライヴをネジ止めするときに支えていたよ」
「あたしは作業台の上をかたづけました」
「……とまぁ,
まさにこの講座の人的資源の総力を投入して
この<闇ルーター>は完成したわけです.
若き俊英たちの知性の結集と表現するほかありません.
ああ,
これほどの人材たちに作られた
<闇ルーター> を使えるお客さんがじつに羨ましい」
「何が人的資源だ.
そんなことを言い出したら……」
依頼人は最後の抵抗を試みようとしている.
「ならばお尋ねしますが」
私は右手の小さな金属ケイスを示した.
「お客さん自身が持ち込んでこられた
このフロッピーディスクドライブ.
こいつが欠陥製品であるために,
なんとまぁ私の私物たるLinux 起動用ディスクが
三枚も再起不能に──
永劫に読み書き不可能になってしまった
損害はどうなるのでしょう.
そんなことより,
そのような不幸な事故すらも
直ちに乗り越えてみせた
われわれの
臨機応変な状況判断と対応能力に
正当な値段をつけてみるならば,
どうなりますか.
あるいは
<闇ルーター> としての機能を
このPC に付与するために要求されるスキルを
どこかの学校で懇切丁寧に教えてくれるとでも?
そういった知的資産がなければ,
この筐体と電子部品で構成されているガラクタは
せいぜいのところWindow$ とかいう
ウィルス増殖専用装置を動かすぐらいにしか
使えませんよねえ.
いや,
そのWindow$ すら入らないかも.
数時間前までは
この机上には
得体の知れない安物の部品が
散らばっていたにすぎないわけですから」
「……」
私はにこやかにうなずく.
「公正な商談が成立して
互いにとって
まことに喜ばしいことです.
というわけで支払いのほうはよろしくお願いします.
しかるべき利率を設定してくださるなら,
ローンについても相談に応じさせていただきます.
毎度ありがとうございました」
かくして
……細かいいきさつはともかくとして……
<闇ネット> は
北海道大学大学院地球環境科学研究科A棟の
三階ばかりでなく
五階・六階・七階の隅々にまでひろがり
覆い尽くすことになったのである.