生態学に必要な計算集約的方法

(作成980318, 改訂980908)

何か読み物のページを作らんとして初めてしまった「自由帳」, なかなか堅苦しい話が続いてしまった. 疲れる話は今回でおしまいにして,次回からは気楽な話を書こう.

……さてさて…… ここまでの二話で言いたかったことをてきとーに要約してみよう……

「我らの計算,彼らのモデリング」: 何ごとも定かならぬ生態学という分野にあっては, われわれモデル専門屋の観念論的かつ教科書的な世界観は おおむね現実ばなれしていて, あまりものの役に立たない. むしろ実物を日々観察している人々が そのシステムをどのように認識しているのかに少しでも肉迫し, その妥当性(それは的確な描像なのか単なる妄想なのか)を 調べるほうがマシではないかと提案した.

「数理科学は“パターン”の科学」: 生態学でとりあつかうさまざまな“パターン”を再構成できる “プロセス”とは何か? 「記号・演算・パターン」を基本要素とする数理科学を駆使して この謎を解明するためには, “データ”から(観察者の“モデル”に基づいて) 試行錯誤でパターン生成の演算を推定するのが現実的であり, そのためには“パターン生成自動機械”である 計算機の助けが不可欠であることを示唆してみた.

計算集約的な方法論

話はその続きである. 「数理科学は“パターン”の科学」の末尾でちょっと指摘していた 「計算集約的アプローチ」って何だろうか? 私はこう考えている. 野外調査から得られたデータ(特定のデータ構造をもつ数値の集まり)に 見られるパターンを再現するときに, 観察された生態学的パターンが再現されれば,まぁそれでよし, 再現されなければモデリングとデータ構造が改めて問い直される, という試行錯誤的方法論である. これはすでにある程度は述べてしまったことの繰り返しだ.

何と言うか,“リアリティ”なるものがもてはやされている時代 (例えばゲイムセンターにおける昨今の流行の変遷を思い浮かべていただきたい) に迎合しすぎた発想という気もしないではない. しかしこの分野の従来の (“現実”との対応があいまいでいいかげんな) モデリングと 同じ程度には重視してもよい方法論ではないだろうか. 大学院という怪しげなところで怪しげな研究をしながら 5年ほどすごしてしまった私の暫定的結論である.

計算集約的な方法論は“数理生物学ではない”(談)

これまで, 生態学という分野にあってハバをきかせてきたのは 「計算量を減らすために仮定を増やす」 という方法論である. 別の言いかたをすれば, 形而上的思弁を18世紀の数理的道具立てにだけこじつける ことを尊しとする価値観である. このようなアプローチがとんでもない間違いをひきおこすことは, このWeb サイトの「研究紹介」でいくつかの実例を紹介している. [1]

ところで, 上述のごとき観念論的な人々は自らを「数理生物学」という 分野に属していると自認しているらしい. あるとき「数理生物」の名を冠された研究会において 私が目ざしているような方法論は「数理生物学ではない」と はっきりと否定する言明を拝聴した. 私はその当時(大学院生時代)「数理生物学講座」という 研究室に所属していたので, これは困ったことになった[2]なぁと思った (しかもその発表者は私が学籍をおく大学の教官であった).

私が研究発表すべき順番になった. 「さきほど某先生の定義されたところによりますと, 私がこれから発表する内容は数理生物学ではありません」 私は20名ちかくの“数理生物学”研究者を見渡した. さてさて何か目新しそうなことは言えないだろうか. 「今日お話しすることは」 そうだそうだ 「いいえ,これからのち私がお話しするアプローチは, それゆえに『計算生態学』と呼ぶことにします……」. 一堂の笑い.私も笑った.さぁ何か楽しいことが始められないかな……


脚注

[1] ただし, 私の大学院生時代の体験に基づくと…… モデル専門屋の中には, 野外調査をもっぱらとする生態学者の研究成果について 「下らない瑣末なことばかりやっている」 「記載的な研究だからまったく価値が無い」 「“数理モデルにならない”から真理ではない」 といった表現で日頃から陰湿かつそれこそ下らない陰口たたいているのに…… ということばかり書いていてもココロすさむばかりなので, そろそろやめようかなぁ……

[2] 例え話で説明するなら…… 自分はジャーナリストになり事実に基づく報道活動をやりたいと 考えている大学生がいたとしよう. 彼は何やら大学内で雑誌を発行しているらしい サークルの会合に初めて参加したとする. 自己紹介も兼ねてそのような志望について述べようとした矢先, 実はそのサークルは耽美的文学をもっぱらとする同人誌を発行している ことが判明…… そういう状況である. あー上の表現はべつに“耽美主義者”を莫迦にしたり 変態あつかいしているわけではない.




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