アル中の大学院生 ─大学の困った人々 (II)─

意識とぶ臨界点からの娯楽提供

ずいぶん飲まれるとか.

本格焼酎というのは アルコール度が 25度ぐらいなんだけど …… そうだなぁ, これなら毎日 1 リットルは確実に飲んでいる. がんばれば 2 リットル, いやもっとかな. ビールならその数倍はこなせる. 清酒は飲まない. これは 九州地方の大学体育会系サークル伝来の 神聖にして頑迷なる気質といってよい. 欧米産の醸造酒や蒸留酒も 嫌いではないけど高いから. インターネット上で アルコール依存症な人々の告白的文章を いろいろと読んでみると, みな申し合わせたかのように, 「費用対効果」 を追求していった帰結として 最後は 焼酎にはまっていくみたいだね. 焼酎といっても 東日本の連中にとっては あの奇怪なる甲類焼酎 (ホワイトリカー) なのかもしれないけど.

費用対効果ですか. 飲むことを楽しむというより, むしろ酔っぱらうことが目的であるように 聞こえるんですが.

まったくそのとおりで 酔っぱらうために飲むんだ. 飲んで飲んで意識が失われるところまで飲み続ける. ああ, でも, ずいぶん大昔に思える 20 才のころは 「白波」 お湯割り 4-5 杯で気持ちよく気絶できたなぁ. 焼酎換算で 500 ml というところか.

なぜ そう限界に挑むかのように 酔っぱらわなければならないんでしょう.

面白いから. CH3CH2OH ごとき低分子の流入によって 商売道具たる脳を含む 中枢神経系の制御方法 あっさりと変えられてしまう. 意図的にこのシステムの動作設定を変更するときの労苦を思えば, まさに奇跡の薬物というべきだろう. 何十億とある 神経細胞の電荷分布の動態パターンが普段とは異なる, つまり 自分が自分でなくなる ということだ. だからこそ 見極めずにはいられない. 内部状態を極端に変動させることも, 興味深い現象はとことんまで追求してしまうのも 重要な職能のひとつ, と言えば少しはもっともらしくなるのかな.

しかし そういった方向に進んでいくと ……

そうそう. 一日中酔っぱらわずにはいられなくなる. むろん そのことすらも正当化されてしまう. 泥酔後の気絶から覚めても 飲めばすぐに仕事 (そうとも! たとえこの上なく阿呆らしい業務であっても) にとりかかれるし, すこし入った状態でさっさと歩いていると じつに気分が高揚してくるもんだよ, とか何とか.

体は壊れないんですか.

いまのところ 全力運転中の肝臓から発せられる痛み などといった明確な自覚症状はない. 体重は大学院 5 年間に 15 kg 増大してしまった. こっちは日々自覚させられるねえ. だって靴ひもを結ぶのが苦しいんだから. あとは …… 消化器官は慢性的におかしい. 世間の人々がアル中たちに期待してやまない 手の震えといったことは生じていない. 飲酒量はともかく年季のほうはまだまだ ということなのかな. 天井一面に虫がうごめきはいまわるわけでもなければ, ピンク色の象たちの堂々たる縦列行進を目撃したこともない.

…… ところで, そんな あなたが その何とも, ええ, 求道的な行為を今後は停止してみせる と言う.

先日, アルコール依存症に関する書物を読んでね. ある点に衝撃をうけてしまった.

その凄惨な末路とかに.

いやいや, そんなところには驚いたりはしない. その本によると, 推定の根拠も方法もまったく示されてなくて 信頼できないんだけど, わが国で 「ただちに入院が必要なアルコール依存症患者」の数は 30 万人, 「毎日の酒を『切れない』人間」は なんとまぁ 200 万人を超えているというんだ.

たしかに たいしたものだとは思いますが, なぜそういった憶測値が あなたなんかに衝撃を与えたのか については まったくわかりかねます.

200 万だよ. ちょっとしたメトロポリスの人口が そういう似た者同士ばかりで構成されてしまうわけだ. 忠良なる一市民として その大集団の中に編入されてしまう. これは何とも耐えがたい. じっとしていられない. 反対側の方向にむけて全力疾走したい. とはいえ, この追加装備された貯蔵組織を 大量にぶらさげたまま ホントに駆け出しちゃうと すぐに息切れするかもしれないが.

人間の神経系を直接に刺激する快楽を そう簡単に断ってしまえるならば, その 200 万なる民族的偉業は とうてい 達成されなかったのでは.

なーに, 絶望的なほどに深刻というほどでもなかろう. まずは 20 年ばかり 飲むのを やめてみるだけだし.

「断酒会」 だの 「AA (alcoholic anonymous)」 だのといった 互助組織が日本全土で活発に機能していてなお, 深みから脱出できない事例も多々あるというのに, あなたはそれに一人でケリをつけてみせると.

うーむ, あえて言わせてもらうならば, このような著しく個人的なことで, 誰か他人が何かの役に立ってくれるとは まったくこれっぽっちも信じられない. 独力でなんとかならないなら, 何人寄ってもダメじゃないのかな. 乏しい経験に依存して 何かをもっともらしく述べたてるのは まさしく知性の不足を示すに他ならない とは認識してはいるけど.

何か具体的な根拠があるからこそ, あなたにとっては容易なことだと 判断されているんですか.

深刻でなかろう, とは言ったけれど, 簡単だとは思っていないよ. これまで いろいろと 「やりやすい」 環境は整えてきたつもりだけど, それなりの苦闘になるんだろうね.

予想される困難にはどのような方針で.

そうだなぁ. ここまで長生きしていると, すでに何度かは 似たような想定で問題を解決しなければ ならなかったってことだし.

似たような想定 ですか.

いつまでたっても 終りのまったく見えない 来援などまったく期待できない 膠着状態. 正気と狂気を適切に使い分けることによってのみ かろうじて生残かちとる撤退後衛. この種の勇ましくもなく莫迦々々しいだけの 経験ならばをそれなりに有している. 飲むことでそういった記憶を きれいに削除できるかと思いきや, 何年も何年もかけて 大迂回をしたつもりで, またまた遭遇してしまった. あるいは よほど好きなのかもしれない. きっと楽しいことになるぞ.

その何とも もってまわった表現を要約させていただくなら, 確たる方針と呼べるものは何もなく, やはり あなたとて 飲酒習慣の廃絶には そうやってひるんでおられるだけ なんですよね.

そうかもしれない.

それでは, ちょっと質問をもとの方向に戻しますけど, 足をとめて そのやっかいな対戦相手と 正面から打撃の応酬を始めるような なけなしの勇気を発動させようとする 動機ってのは ホントのところ何だったのです.

照明の角度を変更してみようか. 娯楽だよ. 娯楽の提供.

何が娯楽の提供なんでしょう.

考えてもみてくれ. このまま 掛け値無し ホンモノのアルコール依存症になってみせたところで, まぁ 世間によくある 珍しくも何ともない顛末じゃあないか. こんなことは どんなに想像力の欠如したやつにだってできる. そして 観客の誰にとっても面白くもおかしくもない. 惰性で書かれたようなシナリオ, 類型の重ね合わせだけで生成された性格造形, 何も考えていないと表明するためだけになされたような演出.

あなたの自負がそれらを許さない とでも.

「誰もが当たり前にこなすことならばできなくてもいいけど, 誰もが不可能に思うことを当たり前かのようにこなしてみせる」 …… まぁ, こういうのは自負と言えるのかなぁ. 単なる誇大妄想かもね. ともかく, 引き返し不能点を超えて飲み続けたあげくに やや特殊な病院の日常業務ルーチンの中で 手際よく処理されていく一件になるつもりもなければ, 善意あふるる人々の利他的な会合を維持している 共同幻想を補強する材料になりたいわけでもない. ましてや, 「適量」をたしなむ あたかも 「ふつーの人」 であるかのようにもふるまうことなどできやしない. そんな器用な芸当を身につけているならば 最初から飲みはしないだろう.

飲むならけた外れに飲み, やめるなら徹底的にやめてみせる, ということですか. そんなにうまくいくとは, むしろそちらのほうが ちょっと想像できませんね.

その 「ちょっと想像できない」 ことをやりとげてみせるからこそ, 見物してる人たちにとっても, まぁちょっとした娯楽たりえる と考えている. 他人の悲劇は 見方を少し変えれば 喜劇のようにも鑑賞できるんだろうし, 滑稽な道化を演じる役者が ときとして もの悲しく見えてしまうこともある. いずれにせよ 観客にとっては 自分自身を相対化しつつ楽しむ娯楽だ. その一点のためならば いくらでも英雄的になってやるさ.

血液中のアルコール濃度がゼロまで低下したあとでなお, その威勢よい英雄的態度を維持されるよう お祈りさせていただきますわ.

(つづく)

(1999.12.26)
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